1950年参議院文部委員会元号廃止法案調査

1950年参議院文部委員会での元号廃止法案調査

■参議院文部委員会会議録
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 以下は、会議が行われた日付です。
  1950年2月21日
    1950年2月28日
  1950年3月2日
  1950年3月7日

■以下の新聞記事は時系列で表題と記事テキストを掲げ、表題の一部は紙面イメージにリンクします。

1946年12月6日 朝日新聞 東京/朝刊 1頁
 元号制は改正しない 金森国務相言明 本会議

1950年2月13日(月) 朝日新聞 東京/朝刊 1頁
 「元号廃止、西暦へ」参院文部委で研究中  元号廃止問題 
 
昭和という元号を今年一ぱいで廃止して、来年から外国と同じ西暦にしようとする動きが最近具体化し、目下参議院文部委員会岩村専門員の手で慎重に法案起草の準備が進められている、もし、この法案が国会を通過すれば、元号は昭和二十五年で打切られ、明年一月一日からの公文書は西暦一本に統一されることになる 

「元号の廃止」は終戦後、皇室典範改正の時に、改元(昭和を変える)とともに問題になったことがあるが、当時の第一次吉田内閣で『昭和』は変えず、明治の定制どおり、「一世一元」で行くことに決定、もちろん元号の廃止は問題にならなかった、その後、昨年、年齢を満計算にする法律が国会で審議された際、参院文部委員長田中耕太郎氏、同委員山本有三両氏から元号廃止についての強い意見が出たが、紀元節廃止当時に現れたような微妙な一部の国民感情を考慮してそのままになっていた、ところが最近再び表面化してきたものである、廃止の主な理由としては
◇世界共通の西暦一本とする方が国際的で合理的である
◇「国民主権」を規定した新憲法下において天皇の名を冠した元号を公文書に等に使用する事は依然として「天皇主権」の印象を与え、憲法の精神に反する
◇紀元、西暦、年号の三本立てでは日常生活に不便なばかりでなく、歴史教育上もいろいろ不便がある(例えば明治憲法の発布から今年まで何年経ったかを調べるにも西暦一本だと簡単にわかるが、年号の場合だと明治、大正、昭和を加算した上、大正十五年と昭和元年等の改元ごとの重複を差し引かねばならぬ)などである
 また、いまの天皇が亡くなられた場合当然起こる「元号問題」を二十世紀の前半が終わる今年中に解決し、来年から西暦一本にしようという意見や、来たるべき講和條約締結後の国際復帰に備えてぜひとも西暦一本化へという意見も廃止の有力な理由になっている
 なおわが国の元号は千三百余年前皇極天皇四年中国から輸入され、孝徳天皇元年を「大化」としたのが最初で、その後、吉凶禍福等で一代のうちにもしばしば改元されていた、それが慶応四年九月明治天皇即位後「年号を明治と改め自今一代一元たるべき」ことが布告され、前皇室典範の第二章十二條にこのことが成文化されていた、しかし現在の皇室典範からは除かれている
 田中委員長談 元号がそのまま残っていることは”天皇主権”がそのまま残っているようで新憲法精神にも反すると思う、国民の日常生活からいっても西暦一本の方がいいことは間違いない
 岩村専門員談 紀元節を廃止するときも相当反対があったが、紀元節も無くなった現在、元号廃止に反対する明確な理由はなくなっていると思う、元号はもともと中国から入った思想だが、中国でも民国建設以来廃止され元号が残っているのは世界中日本だけとなっている、現在の「一世一元」は明治天皇が詔勅を出され、当時行政官告示として出ているだけで、新憲法に反する法律、命令、詔勅は新しい憲法第九十八條で効力を有しないことになっているので、その詔勅も当然に法的根拠を失っている、ただし皇室だけが国民と関係なく自身で元号を置かれるのは別問題だ

※引用者注:文部委員会委員長は田中耕太郎氏で、同年3月1日に最高裁長官に着任し、文部委員会委員長も辞任することになります。


1950年2月18日(土) 朝日新聞 一面囲み記事 
元号廃止」正式に取上ぐ
「元号」廃止問題は十七日の参院文部委員会で、正式議題として取上げることを各派一致で承認、来る二十一日の同委員会に「年号の称え方に関する法案」(仮称)の草案を提出、各界から広く意見を求め、本格的審議を開始する

 1950年2月22日(水) 朝日新聞
元号の廃止 正式取上げ 
参院文部委員会では元号廃止の問題をいよいよ正式に取上げることになり、二十一日の委員会で協議した結果、まず宮内庁、通産省、天文台、法務府、歴史関係学者、宗教団体、統計局、教育刷新員会、商工会議所など年号廃止と関係の多い各官庁、文化団体、学識経験者などに廃止の是非について意見を聞くほか、公聴会や現地調査も行うことに決定、今国会の会期中に法案を成立させるよう準備を急ぐことになった。

1950年2月22日(水)毎日新聞
来年早々元号廃止へ
参院文部委近く成案
年号の改廃問題は参議院議員田中耕太郎、山本勇造氏らによって提案されて以来大きな反響を呼んでいたが二十一日の参議院文部委員会では正式にこれを議題として取りあげ奧野参議院法制局長の意見を求めた。同局長は
新憲法では天皇の国事に関して年号の規定はないので当然現在の皇室典範からはこの規定は除かれている。天皇の改元に法的根拠がない以上将来改元の必要があるときには法律で規定しなくてはならない。
と述べこのままにしておけば昭和で元号が自然消滅することが明らかになったので、同委員会ではできれば来週にも各方面の意見を聞き案を作って今国会を通過させて一九五一年の始る来年早々元号を廃止したい意向である。

 1950年2月22日(水) 夕刊朝日新聞
 西暦一本建てをどう思うか―各界の知識人にきく―
 一、 反対ですか、賛成ですか。
 二、 その理由は。

日本学術会議会長 亀山直人
 一、 賛成。
 二、 国際的で勘定がしやすい。メートル法採用よりもっと広い国際性がある。象徴としての天皇に対する敬愛の情は、大正、昭和などといわなくても少しも変わらない。 

徳川 無声
一、 ぼくはどちらもよいと思う。 西暦にしてみて国民生活にプラスになるものがあればそれもよいだろう……
 二、 しかし天皇が憲法の上でも国家の象徴である限り元号を存続することにも意義があると思う。

 東大教授 緒方 富雄
 一、 賛成。
 二、 世界共通の年号の方が便利だ。自分のところだけ特別の年号を持っているのもよそからみたらおかしかろう。反対論を積極的に支持する理由が見いだせない。 

哲学評論家 佐藤 信衛
一、 賛成。
 二、 皇紀は問題にならないし、西暦をキリスト紀元とせまく考えることもない。年号を廃止すると不便を感じるという歴史家もあるかと思うが、これからは天皇の代が変わっても国の動きや社会の状態がきわだって変わるとは思えないから世界的に認められている西暦一本で差し支えないと思う。

東大理学部長 茅 誠司
一、 賛成。
二、 世界がこんなにせまくなってくると、日本だけが昭和とか何とかいってもいられますまい。

評論家 小林 秀雄
一、 賛成
二、 便利だから。これは歴史や思想の問題までからませて考えるべきことではない、より便利な方を採るべきだ。 

東大教授 宮沢 俊義
一、 もちろん賛成。 
二、 第一便利だ。それに主権在民という憲法の精神からいえば一世1元というような、天皇の名を時代の上にかぶせるのはおかしい。私は前からこのことを主張している。 

オペラ歌手 長門 美保
一、 賛成
二、 どうも昭和という年号にはいやなことが多過ぎました。便利な西暦一本にすることは当然だと思います。 

東大名誉教授 辻 善之助
一、 賛成。
二、 西暦紀元をとった方が便利だし、今日の情勢からは当然西暦をとるべきだ。これは今後の問題なのであって、すでに歴史事実として用いられた過去についてうんぬんする気持ちはない。 

統計数学者 増山元三郎 
一、 賛成。
二、 何しろ便利だ。一々換算する必要がないだけでも助かる。

東大名誉教授 和辻 哲郎
 どちらでもよいが、私自身は前から西暦をつかっている、元号を廃することについても、私個人としては一向かまわない。   

学士院会員 田中館愛橘
私のように九十三年もつまらなく永生きしているものは、齢を数えるだけでも、安政、万延、文久、元治、慶應、明治、大正、昭和など八つの世代をいちいち顧みなければならない。西暦を用いていればこんな苦労はない。西暦採用を直ちに決定して実行すべきだ。改元は人心を一新さすために行ったので封建的思想だ。 学問の分野でもすべて研究調査に不便で効率が上がらない。  

作家 石川 達三
こんな問題はボクにとってすこしの興味もないことで、どっちでもいいと思う。   

東大教授 池田亀鑑
一、 賛成。
二、 今後は西暦紀元をとった方がよい。これからの国民の生活、思想は世界的立場から離れられない、ただこれまでの元号などは残しておかないと困ると思う。

 詩人 菊岡 久利
一、 ヤソ紀元と元号の併用が一番よいと思う。
二、 国内で日本人の間では元号を使う方が便利なことは予想以上だと思う。しかしこれだけでは外国人には通じないし、日本人の間でも外国との関係のことにはなるとヤソ紀元の方が便利になるからこの両方を併用するのが一番便利だと思う。日本紀元はなくした方がよい。

 1950年2月23日(木) 朝日新聞 朝刊一面 
天声人語
 元号廃止、西暦採用の問題は賛否両論でやかましくなってきた。西暦はいつころから日本で使われ出したか、古証文をひっくり返してみよう▼まず国際条約に現れるのが定石で、ペルリ渡来による初の日米修好条約たるいわゆる神奈川条約には「嘉永七年三月三日、千八百五十四年三月三十日」とあり、その直後の下田条約には「暦数千八百五十四年第六月十八日下田において名判いたす」とある▼明治に入ってからの西暦のハシリは四年ころで、金沢藩が外人の鉱山教師を雇った契約書に明治年号と共に「西洋千八百七十一年三月第一日」と記し、また豊前部崎灯台の布告には明治元年のほかに「西暦千八百七十一年第二月一日工部大阪兼灯台頭佐野常民」とある(明治事物起源)▼西暦に基づく世紀の字は、明治五年加藤弘之訳の「国法汎論」に「幾世紀と記すは一百年を一世紀と称す」と注釈したころが使い初めだろうという。いま西暦採用に反対する人も「二十世紀」の語は日常使っている▼ことし九十三歳の田中館愛橘博士は「自分の齢を数えるのに年号だと安政、万延、文久、元治、慶應、明治、大正、昭和と八世代でまことに不便だ」と言っているのも面白い▼世界にいっそう目を注がねばならぬこれからの日本として、西暦に歩調を合わせることは、害より益が多いことは明かである。今さらこれを排することは廃刀や断髪に反対したのと似たところがあり、洋服や靴を排するのにも通ずるものがある▼ただ計年の唱え方に「キリスト起源」とか「西暦」の枕詞を冠するのは無用のことで、神武の紀元と混同せぬ語か、いきなり一九五一年とするかであろう。

1950年2月28日(火) 朝日新聞 朝刊 一面
元号問題で意見聴取 参院文部委員会
参議院文部委員会は「元号問題」について各界代表者の意見を聞くため二十八日と来月二,六日の三回にわたって委員会を開くことになった。二十八日出席の参考人は次の八氏である。 林敬三(宮内庁次長)亀山直人(学術会議会長) 柴沼直(教育大学学長) 佐藤達夫(法制意見局長官) 大内兵衛(内閣統計委員長) 与謝野秀(外務省調査局長) 安藤正次(教育刷新委員会) 萩原雄祐(天文台長)

1950年3月2日(木)朝日新聞 朝刊 一面
西暦採用への賛否 本社世論調査
明治、大正、昭和などという元号をやめてしまって、日本でも西暦一本で年号を数えることにしたらどうか――この問題が最近参議院の文部委員会で採りあげられて急に論議の的となっているが、参議院でも法案の正式提出までには公聴会その他の方法で広く意見を聴くと同時にその理解を求めようとしている。この機会に本社では去る二月二十五、六両日、この問題について全国世論調査を行ったが、回答に出た主な傾向は
(一)現在わが国では元号、皇紀、西暦の三種類が使われているが、これはわずらわしいから、出来るなら一つに統一したら良いという意見が全体の四割近くあった。
(二)しかし具体的に西暦一本建ての賛否については、約半数が反対の意思表示をし、賛成と答えたものは二割五分であった。
賛成25% 反対47%
知識層、若い人は”賛成”
昭和二十五年という呼び方をやめて西暦1950年という呼び方に変えようという意見が出ていますがあなたはどう思いますか。
A 賛成 二五%
B 反対 四七%
C わからない 二八%
賛成論
 回答総数の四分の一を占める西暦一本論者にその理由をきくと「西暦は世界各国で使っているから、日本だけがそれを避けることはいけない」「講和会議後に国際復帰をするための態勢」「伝統をいたづらに重視するよりも、時代に即応していくことがかんじんだ」など西暦が世界共通である点を強調しているのが、賛成論のほぼ四割で最高、次いで「西暦なら年齢計算やすべて年代を知るのに便利だ」とわかりやすさを理由としたのが三割強「天皇が代わるごとに変えなければならぬ元号は不適当だ」「昭和という元号には敗戦感がつきまとってきらいだから、いっそサッパリと西暦にした方がいい」「元号も不便だし、皇紀も信用が持てない」など、もっぱら皇紀、元号に反対の立場から西暦に賛成するものもいる。
 職業別に見ると、表(引用略)の示すようにサラリーマンの賛成がずば抜けて高率で、中小商工業者、産業労働者、農漁夫、その他の順になっている。男女別では男が多く、学歴別では高専校以上の卒業者が圧倒的高率で、教育程度が高くなるほど賛成の率も高くなっている、また年齢別で若い世代の人たちほど賛成者が多い。
反対論
 回答総数の約半数が西暦一本建にたいする反対論だが、そのもっとも多いのは「元号は習慣上便利だ」と言う理由、これが反対理由の四割三分だ、第二位で反対理由のほぼ二割を占めるのは歴史的感情と見られる種類で、「日本の歴史から大正や昭和というような呼び方がなくなるのはさびしい」「伝統というものは、そうむやみと変えたり捨てたりするものではない」など…、「千九百何十年などといわれてもそれが一体いつのことかわからない」とか「そんな年号は性に合わない」とか、こうしたものは農漁村や老年層の回答に多かった。また回答の一割に充たない数ではあったが、天皇に対する感情からのものもあり、これは「日本は天皇中心の国だから、元号をやめるわけにいかない」などという回答である、また「日本はキリスト教国でないから西暦を使うのは反対だ」「何かというと外国のまねばかりしたがるからいけない」というのもあった。
 職業別から見ると中小商工業と農漁業に多い、年齢、学歴別では反対論は大体平均率を示している、ただ五一歳以上の老年層が青壮年より低率を示しているがこれは「わからぬ」組の方で老年層が最高率のためである。
一本化なら「西暦」が多数
昭和何年という元号と皇紀と西暦の三つの年号の呼び方を一つに統一したらよいと思いますか。
A 一つにする   三七%
B 二つにする   一二%
C 今のままでよい 二七%
D わからない   二四%
年号の呼び方を一本化した方がよいかどうか――一つにした方がよいという考え方の線は一応引かれているのだが必ずしもそれは「西暦」というわけではなかった,全体のほぼ四割はどの年号か一本に統一したい希望を持っているが、三割近くは現在のままでいいと考え、その他に昭和の元号と皇紀、あるいは元号と西暦といった二本立てを主張しているものもあるが、この大多数の回答は「元号と西暦」を可としている。
では年号の一本化なら、どういうように統一したらよいかといえば、その五三%は西暦と答えている。
自由党支持者ほど西暦反対
◇西暦一本化への賛否は支持政党によって異るか―――
これを自由、民主、社会、共産の四政党支持者だけについてみるとその平均は賛成三〇%、反対五五%、わからない一五%となっているが、これを党派別にみると、左表のように賛成、反対ともに、わずかではあるが、その率に微妙な変化がみられる。
     賛成   反対
自由党  二六% 六〇%
民主党  二四% 五三%
社会党  三九% 五〇%
共産党  五四% 三〇%
(わからないは除く)
調査方法
この全国調査では従来の人口、産業率に昨年一月総選挙の各党派の得票率を加味した新抽出計画によって、全国の都市を層化し任意標本副次抽出方式によって有権者名簿から三,五〇〇人を選び、都市九三層一三〇調査地点の一,一九九人、郡部一〇四層二六四調査地点の二,三〇一人に面接して調査した、しかし、旅行、転居、結婚、病気、病気、死亡などで面接不能のため回答率八七%となった。

1950年3月2日(木) 朝日新聞
社 説
元号の廃止
 何でも新しいものを取り、古いものを捨てればよいというのではない。国民の慣れ来った制度などは、できるだけ変更せずに何代もの人々がその中で生き、幾多の人々の手アカで黒光りしていればいるほど、生活の秩序には厚みが生じ、国民生活には落着きが出てくるのである。英国などでは、大臣のイスなども、それぞれ固有の伝統的な呼び方があり、それを簡単には壊そうとしない。古き革袋に盛るその内容さえ新しければよいのである。この行き方からみると、特に戦後の日本などは官名や行政上の名称ばかりを、いたずらに変えて混乱させるが、内容にはほとんと無とん着という風が強い。
 しかし、変わらぬ方が変わらぬ方がよいということにはならない。名称や形式がつねに内容に影響するような者は、ものによって決然と変更を決意した方がよい場合がある。慶応、明治、大正、昭和と呼んできたいわゆる元号のごとき、このたぐいの一つであろうかと思う。それも、慣れてみると、便宜で離れにくいように思われるが、そこにはむさ苦しいあばら屋住いの不潔と不便に執着して、新築のこころよさを思ってもみないのと同様の心理がないではない。
 本社がこの二月下旬、世論を調査したところによると、西暦採用には賛成が意外に少なく、二五%、これに対して反対は四七%となっているが、その内訳を見てみると、西暦賛成者は都市に多く、また学歴の上では高専校以上の人に圧倒的に多く、いわば教育程度の高くなるほど賛成の率が多いということを示している。これは無理からぬことで、近代的な歴史の見方になじみの少ないわれわれが、主として自分たちの生きてきた年代の明治大正昭和を標準として世界を考え、狭い短い歴史的な視野のみを世界としているのであるから、かえってそこに住みなれた便宜を感ずるのである。
 こういう「習慣」からきた気持ちを別とすれば、幾分か国粋的感情から出ている気分が、およそ西暦採用に対する反対の主なものとなっているようである。が、年号の呼び方は、およそ歴史的な時間に対する便宜的な尺度であって、それが創られたときにはそれぞれいろいろの政治的または宗教的意味がもたせられたであろうが、目下ほとんど世界共通に用いられている西暦には、いまはもうその宗教的意味もなければ、何らの感情も付随してはいない。それは物差しやメートルに何の感情もまつわっていないのに近い。それは日本人の洋服やクツが、西洋的感情を持っているほどにも西洋的な気分をつけてはいないのである。そこで、この点の心配は全く無用であろう。
 西暦採用には、しかし積極的な必要性がある。というのは、今後の日本が、世界の諸国に伍して、経済、政治、社会、各方面でいよいよ密接に交渉し、孤立的な日本ではなく、世界的な日本を作りあげてゆく上に、ちょうど同じ標準時間を持たねばならぬのと同様の意味で 、同一 年号を持つことが必要であるが、それも 単なる 便宜上から来るばかりではない。
  日本を世界史の中に置き、世界史と並んで進む 日本を築き上げていくには、 今後の若い人々が 世界歴史について広い常識を持つことが必要であると同時に、日本の今後の発展も、過去の歴史も、常に世界史の発展と関連して考えられることが必要である。ことに、明治維新以来の現代の日本は、過去の日本史の上に立っていると同時に極めて大きな 比重を持って 西洋文化の中に生きてきたのである。
 その意味では 現代西洋人の 祖父 や 曽祖父の時代である 十八世紀から十九世紀の西洋は、いまのわれわれを支配している現代文化の直接の母体であって、それはどうしても現代の日本人の頭脳には常識としてつかまれていなくてはならぬものである。その歴史を知らないでは、およそ 文化は身についたものとはなるまい。 歴史をよく知るということは、現代の制度や思想の素性を見分け、これを批判し、取捨し、もって新しい世界の日本を作る上においても欠くことはできないのである。
 かように、日本を世界の発展の中でながめていくにも、狭い孤立的日本を外界から 閉めきっているような障害を外して同じ 歴史の尺度を用いることは必要となってくる。もちろん日本はどこまでも日本であるが、世界と共に生きているという意識を持つことは 肝要である。
 元号廃止に反対の意見は、無論 こういう問題にからんでいるのではなくむしろ、慣れた尺貫をメートルに変えるのは不便だという点が主であろう。事実また「明治維新」とか「大正時代」とかいった既成の内容をもつ言葉までが直ちに廃止されたがよいなどと言うわけではない 若い娘たちが メートル尺を用いるにしても、老人の手から鯨尺をもぎとって日々の仕事に不便を聞かせるという法はあるまい。 日本歴史の書物の中などには、しばらくは元号と新しい紀元とが併存しても、少しもさしつかえはないであろう。

1950 年 5 月 1 日(月) 讀賣新聞 夕刊
時評 元号の廃止はどうなったか
 本年年初参議院文部委員会に、昭和という元号を廃止して西暦を採用しようという意見が提出された、そして一時その可否の論議がにぎやかであった。しかし国会はその後、予算その他の重要法案の審議や与野党のカケヒキに忙殺されて、元号廃止問題はどこにいったのか、行方が分からなくなった。会期の終末もせまっているので、おそらく今度の国会では確定しないで終わるのではないかと思われる。
 予算も税法も、その他の法案も国民生活に直接切実な影響を持つ大きな問題で、その審議をおろそかにすることはできないが、元号廃止という問題も決してそれに劣る、どうでもよいという問題ではない。もしこれが決定していれば、それは今国会の業績の中でも最も永久的な性質を持つ大きな成果であったであろうがその決定がおくれたことは残念である。
 元号廃止に関する世論の動向は必ずしもこれを可とすることに一致していた訳ではないが、反対論の根拠は総じて薄弱でほとんどとるに足りるものはなかった。これに対し、有識者の議論はほとんど廃止を可とすることに一致していた。今ここで廃止を可とする理由を詳しく論ずることはしないが、現実の問題として、西暦の使用はすでにわれわれの日常生活の一部分をなしている。われわれの多くは西暦によって日本の紀年をも考えている。
それはわれわれの日常生活が国際的関連の中に営まれていることの一結果である。
 もちろんわれわれは米とパンとを代る代る食し洋服と着物とを代る代る着かえ昼はデスクで仕事をし夜は畳の上に寝る。衣食住全てが和洋混合である。その点からいえば、元号と西暦との混用もわれわれの日常生活に相応しているといえるかもしれないが、物質的生活の様式は日本の自然的経済的条件によっても制約され、そう簡単には一元化されないとしても、生活の他の部面では、生活の一元化を図ることは困難ではない。既に西洋人と同様に民主的に物事を運び、西洋流の科学や芸術をわが物とし、映画と野球をたのしんでいるわれわれである。紀年を西暦に一本化したとしても何の不都合もないはずである。もし多少の不便があるとしても、全く一時的のもので、それによる頭の簡素化と国際化との利益の前にはいうに足りるものではない。折角国会でもとりあげた問題である。ヤミからヤミに葬らないでもらいたい。