1979年元号法制定時の議論から

 国会での議論

1979年元号法 議論からの抜粋

国会図書館の「国会会議録検索システム」19475月の第1回国会以来の会議録が検索できる。「元号AND西暦」で検索すると、該当会議録:127件 、該当箇所:2551という結果が出る。(2024/06/29現在)


その中から賛成派と反対派の特徴的な言説について抜粋する。下線は引用者による。


1979316日 衆議院本会議

 006 三原朝雄

○国務大臣(三原朝雄君) 元号法案の趣旨説明。

 元号法案について、その趣旨を御説明いたします。

 元号は、国民の日常生活において長年使用されて広く国民の間に定着しており、かつ、大多数の国民がその存続を希望しておりますので、政府といたしましては、元号を将来とも存続させるべきであると考えております。

 しかしながら、元号制度については、旧皇室典範及び登極令が廃止されて以来法的根拠はなくなり、現在の昭和は事実たる慣習として使われている状態であります。

 したがって、元号を制度として明確で安定したものとするため、その根拠を法律で明確に規定する必要があると考えております。

 今回御提案いたしております法律案もこのような趣旨によるものであります。

 次に、法律案の内容について御説明申し上げます。

 第一項は、元号は政令で定めることといたしております。

 次に第二項は、その元号は、皇位の継承があった場合に限ってこれを改めることといたしております。

 附則の第一項は、この法律の施行期日について公布の日から施行することといたしております。

 附則の第二項は、現在の昭和は本則第一項の規定に基づき定められたものとすることといたしております。

 以上が元号法案の趣旨でございます。

 

008 上田卓三

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○上田卓三君 私は、日本社会党を代表しまして、元号法案について大平総理に質問をいたします。

・・・天皇一代に一つの元号という制度は、天皇が主権者である明治憲法下ではふさわしいものだったと言えましょう。だが、主権在民の新憲法によって、天皇主権は明確に否定されているのであります。今日、何人も元号制の根拠を天皇主権に求めることは不可能なのであります。しかし、一世一元制を主張する限り、どうしても天皇の地位に結びつけた論拠をひねり出さざるを得ないのであります。そこで政府は、象徴天皇制がその論拠であると主張しているのであります。

 こうした主張は、まじめな批判にたえるものではありません。新憲法が天皇を特に象徴と位置づけたのは、まさに天皇主権の否定を意味するものであり、だからこそ、新憲法の発効と同時に、天皇の元号制定権を定めた旧皇室典範も廃棄されたのであります。したがって、元号法制化の論拠を象徴天皇制に求めることは、根本の精神において、明治憲法の天皇主権に戻ることとなり、主権在民の憲法理念に対する重大な挑戦であります。・・・

 万人に共通な悠久の歴史の流れを、生物体である君主の在位期間によって区切るというところに、元号制本来の致命的欠陥があるのであります。天皇の寿命によって時間が分断され、いつ変わるかもわからず、また日本でしか通用しないような元号は、年の数え方という観点からすると最低なものであります。だからこそ世界じゅうから消え去り、日本にだけ残っているのであります。

 戦前、メートル法をわが国に正式に導入するときも、根強い反対論があったのであります。帝国議会における反対論は、日本古来の尺貫法を捨てるのは相先に対して申しわけないといった調子のものでありました。今日、メートル法とキログラムによる重量表示は、ごく自然に違和感なく定着しているではありませんか。柔道や相撲に尺貫法ではなくメートル法を用いたからといって、伝統スポーツを卑しめたことになるのでしょうか。

 元号を守ることは日本の誇りといった主張は、日本人は天孫民族というのと同じように、自己中心の思想につながるのであります。科学技術の進歩で地球は日に日に小さくなり、国際化は急テンポで進行しております。時間にしろ、長さにしろ、重さにしろ、可能な限りの共通化が時代の要請なのであります。

 同時に、わが党は、元号と西暦が日常生活の中でそれぞれ習慣的に用いられ、生きているという現実を無視するものではありません。その場合でも、基本的には世界共通の尺度でありますところの西暦を積極的に取り入れていく姿勢が必要なのであります。

 

009 大平正芳

○内閣総理大臣(大平正芳君)

・・・ 元号は、国民の日常生活におきまして、長年使用されて広く国民の間に定着しており、かつ、大多数の国民がその存続を望んでおるものであります。また、現在四十六都道府県、千を超える市町村が法制化の決議を行い、その速やかな法制化を望んでおります。政府としては、こういう事実を尊重いたしまして、元号制度を明確で安定したものとするため、元号法案を提出し、御審議をお願いいたしておるものでございます。

 第二に、主権在民を規定した新憲法と元号法案との関係についてのお尋ねでございました。

 御提案申し上げておる元号法案は、元号は政令で定めて、皇位の継承があった場合に改めることといたしております。憲法は、主権の存する国民の総意に基づきまして、象徴天皇制を定めております。この天皇の在位期間に合わせて紀年方式の一つである元号を改めるといたしましても、憲法違反という問題は生ずる余地がないものと信じます。

 第三の問題は、元号法制化によりまして、一部の推進派が天皇を政治的に利用するおそれがあるのではないかという御懸念でございます。かりそめにもそういうことがあってはなりませんし、私としては、そのような御懸念には及ばないと確信しております。

 

010 三原朝雄国務大臣 (総理府総務長官)

・・・この法案には、元号の使用を義務づける規定はございません。国権の最高機関であります国会が、法律という形で元号を公式の年の表示方法とするものでありまして、国等の公的機関が元号を使用することを予定しておるものと考えております。したがいまして、国等の公的な機関は、外交文書等特別な場合を除きましては、元号を使用することが当然であろうと考えておるのでございます。  また、この法律案は一般国民に元号の使用を義務づけるものではございません。したがって、今後とも元号と西暦の使い分けは自由であります。しかし、公の機関におきましては、今後とも現在のように原則として元号によって年を表示することになるので、一般国民が公の機関に提出をいたされます申請書でございまするとか手続書類等につきましては、公の機関における統一的事務処理のために、元号の使用について協力を願いたいと考えておるところでございます。、 ・・・・わが国の元号は長い歴史を有し、今日広く国民の間に定着しておりますし、元号には元号のよさがあるわけであります。ことに、国民心理の上から考えてみましても、元号の果たしてまいりました役割りというものは、きわめて大きいものがあったと思うのであります。今後、国際化が一層進むことは言うまでもないことでありますが、そうした中にあって、国民の気持ちの中に深く根をおろしておるものを尊重していくことは大切なことと思うのであります。これを尊重することは、わが国が世界の中において発展していく上で何ら妨げとなるものではないと思うのであります。私は、日本国民の英知と良識によって、今後、西暦とそして元号との併用等につきましては対処、対応されるものと思うわけであります。

 

014 三原朝雄

 ・・・明治元年の行政官布告はどうなったのかというお尋ねがございました。明治元年の行政官布告につきましては、旧皇室典範においてこの布告を吸収する形で、その第十二条の規定が一世一元制を決めていること等の経過から見まして、今日なお有効な法規範として存続しているものとは考えておりません。新憲法制定のときに、旧皇室典範が改廃されましたときに吸収されて、なくなったものだと考えておるのでございます。

・・・・元号の強制的な使用をさせるべきではないと思うがどうかという御意見でございますが、この法案は、一般国民に元号の使用を義務づけておるわけではございません。・・・・この法律には、西暦使用については何ら制限をいたしておらないわけでございまして、今後とも現在のような形で併用されるものと思っておるところでございます。・・・・この法案には、元号の使用を官公庁において義務づけた規定はございません。国権の最高機関であります国会において、法律という形で元号を公式の年の表示方法とするものであり、国等の公的機関が元号を使用することを予定しておることは当然であります。したがって、国等の公的機関は、外交文書等特別な場合を除きましては、元号を使用することは当然であろうと考えておるわけでございます。・・・・・一般国民に元号の使用を義務づけておるわけではございません。しかし、公の機関において今後とも現在のように原則として元号によって年を表示することになりますので、一般国民の公の機関に提出する申請書でございまするとか届け出書でございまするとかいうものにつきましては、公の機関における統一的な事務処理のため、元号の使用について協力をしていただきたいと考えております。ただ、西暦でどうしても記入して手続をしたいと言われる方については、西暦で受理するということになると思うわけでございます。

 



016 中野寛成

○中野寛成君 私は、ただいま上程されました元号法案に対しまして、民社党を代表し、若干の所信を述べつつ、御質問を申し上げたいと思うのであります。(拍手)  「私は日本人です」、この短い言葉の中に私たちはいろいろな感慨を覚えるものであります。もちろん、その人の年齢や生い立ち、環境等によってその内容は違うでありましょうが、しかしながら、古い歴史を持ち、そして伝統を持ち、そして国民みんなのすばらしい努力によって今日のすばらしい繁栄と新しい科学技術を生み出した私ども日本人としての誇りを共通してその中に持つはずであります。(拍手)そして、その豊かな歴史と伝統に裏づけられた正しい意味での民族的な誇りこそ、世界の国々から尊敬をされ、そしてまた信頼を得る基礎であると考えるものであります。  しかしながら、その国という一つの運命共同体は、決してうまずして生まれるものではないはずです。同時に、その継続は、私どもが常に努力をして、そして全国民の一つになった気持ちというものをまとめ上げていかなければならない、その努力を要請されるものであると考えるのであります。そして、その一つの運命共同体として受けとめる、また体験する歴史的な時間というもの、共有する時間というものがあることは、私は決して不自然なことではないと思います。  私どもは、そういう意味から、毎日とは言わないまでも、折に触れて確認し合う、そういう決意を新たにする日が必要であるとして、多くの国で建国の日や革命記念日さえ設けられていることを想起するものであります。  まして、その基礎となるべき計算の根拠に、日本のように古い国がどうしても超記憶的な歴史の物語の中にそれを見つけ出したとしても、それは決して批判されるべきことではないと思うのであります。私は、そういう意味合いから、この元号の発生と歴史もまた、私どもの心の中に千三百三十三年という長い歴史を刻みつつ、民族の誇りとして、また伝統的な文化として息づいてきたことにあえて大きな誇りを持つものであります。(拍手)  同時に、西暦につきまして、私どもは、決してそれを批判をしたり、それを使わないということではございません。ただ、元号を廃して西暦一本化という声がある限り、それに答えざるを得ません。  いまあえてそれに言及するとするならば、民族特有の体臭がないことに私どもは物足りなさを感じますし、無臭で、無機的で、顔のない時間の流れ、そういう物理的時間の属性としての感覚をつい感じてしまうことは自然の理であると思います。そして、無難であるとする、そのことのために西暦一本化と考えるならば、その中からむしろ私は文化は生まれてこないと考えます。  同時にまた、あえて申し上げるならば、世界に普及したと言われる西暦も、その根源はキリスト教暦であり、かつ、その生まれた元年は必ずしも歴史的にきちんと証明されたものでもないことは御存じのとおりであります。(拍手)同時に、今日の世界的普及の原因として、歴史的に見れば、キリスト教国が植民地主義を持ちながら世界に手を伸ばしていったという歴史が、今日の西暦を普及させた一つの大きな要因であることを考えるときに、私どもは、それが元号に対する批判と同じ、またはそれに劣らない批判を受けなければいけない歴史的意味があることも申し上げておきたいと思います。(拍手)  多かれ少なかれ、伝統的文化の源流をたどれば、それは宗教的意味合いを持つものはたくさんございます。だからといって、それは否定してしまうには、余りにも文化的な損失が多過ぎます。まして、元号は自主独立日本のシンボルであり、同時に、それは歴史的に見ても、平和や民生安定を願って定められてきたものであります。それはいまや迷信などというものではなくて、壮大な日本民族のロマンそのものであります。(拍手)  一世一元に対する批判もございました。そして、それが明治になってからだという御指摘もありましたが、それは、あえて申し上げるならば、それまでのむしろ迷信的な感覚を除去するために、あえて合理的な制度への改革の所産であったと申し上げる方が当たっていると思います。  あわせまして、天皇との関係を指摘されますが、憲法第一条、先ほど申されておりますように、「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。」とあります。私は、すなわち、その日本国民の総意に基づく天皇の地位と国民の素朴な親しみと敬意を結ぶきずなとして、そのシンボルとして元号が存在することは、きわめて大きな意味があると考えなければならないと思います。(拍手)そして、そう考える方が、現在の素朴な国民感情に合うと考える方が自然であると思います。  いまや、元号の存続法制化は大多数の国民が要求しています。労働者の組織である同盟もともに参加をして、元号法制化実現国民会議が構成をされ、そして熱心な運動が展開されていることも御存じのとおりですし、その成果として、いまや四十六都道府県議会でその法制化を要求する決議がなされたことも御存じのとおりであります。(拍手)  まさに、この元号は、本来新憲法のもとにおいても速やかに法的根拠を裏づけられるべきものであったはずであります。国民の権利義務に関する文書にも多く使われる元号は、当然の法的裏づけが必要であります。遅くとも、新憲法制定時にそれが不可能であったとしても、独立時にはそれがなされなければならなかったはずであります。それが今日にまで及んだことは、それは明らかに歴代政府の政治的怠慢であると言わなければなりません。・・・

 

 

 

 

1979413日 衆議院内閣委員会

 賛成意見 

129 村田敬次郎 自由民主党

まず、元号法案を提出するに至った背景等についてでございますが、元号は御承知のように、わが国第三十六代孝徳天皇の西暦六四五年、大化の改新の際に大化という元号が立てられました。そして大化の後、白維と続いたわけでございますが、孝徳天皇の崩御によって、その後約五十年間元号がとぎれました。しかし、第四十二代文武天皇が西暦七〇一年に大宝という元号を立て、元号が復活をいたしまして、それ以来、現在まで千二百八十年間とぎれることなく続いておる、いわば非常にわが国の伝統に根差した文化的な所産であるというふうに考えております。

・・・・・
一部には、元号は国際化社会の現代にはふさわしくはない、世界に共通して通用する西暦に一本化すべきであるというような意見もあるようでございます。しかし私は、国にはそれぞれ独自の歴史や伝統があり、それが国民の精神的な一体性を確保する役割りを果たしているのでございますから、単純に、便利だからということで判断すべきことではないと考えておるわけでございます。

 また、外国におきましても、西暦以外のものを用いている国がいろいろあるわけでございまして、たとえばイギリス、バチカン、インド、マレーシア、イスラエル、西暦以外の年を数える方法を用いている国がいろいろあると思います。これについての実情をひとつ御説明いただきたいと存じます。

132 清水汪 政府委員

外務省の手によりまして外国の事情を調べました結果、現在手元でわかっておりますものについて申し上げますが、西暦だけを使っているという国が六十四カ国ということでございます。これは最初に申しますが、約百カ国ぐらいの調査が判明しておるわけでございます。それから、西暦とイスラム暦を使っている、この場合にはさらにそのほかにその国独自の暦を使っている場合があるわけでございますが、共通としまして西暦とイスラム暦を使っている国、それが二十二カ国、それから西暦と仏暦を使っている国、それが三カ国、それから西暦とイスラム暦と仏暦を使っている国、それが一カ国、それから西暦と政治暦と申しますか、そういうものを使っている国が八カ国、その他の表示がさらに六カ国というような実例になっております。

 

 

1979420日 第87回国会衆議院内閣委員会採決における各会派の意見。

 賛成意見 

106 唐沢俊二郎

○唐沢委員 私は、自由民主党を代表して、元号法案に対して賛成の討論を行いたいと思います。

 元号は、千三百年以上の歴史を持ち、国民の日常生活において長年使用されて、広く国民の間に定着しております。政府の世論調査によっても、日常元号を用いている者が約九割に上り、将来にわたる元号の存続を望む者が八割近くにも達しておるのであります。

 しかしながら、元号について、旧皇室典範及び登極令が廃止されて以来、法的根拠がなくなり、現在の昭和は、事実たる慣習として使用されている状態であります。

 このような事実を踏まえるならば、元号は将来にわたり制度として存続させるための方策をとるべきことは当然であります

一世一元の元号は国民主権を定めた憲法に反するとの反対論もありますが、憲法は主権の存する国民の総意に基づくものとして象徴天皇制を定めており、年の表示方法の一つである元号を天皇の在位期間と関連させることは、むしろ象徴天皇制を定めた現憲法の規定に最もふさわしいものと確信するものであります。

 また、一部には法制化は元号の使用の強制につながるということから、法制化に反対している向きもあるようでありますが、元号法案の国会審議における政府の答弁から見ても、そのようなおそれがないことは明らかであり、反対は根拠のないものと言わざるを得ません。

 このような見地から、元号を制度として、明確にして、かつ、安定したものとするため、その根拠を法律で定めることは、まことに適切なものであると考えまして、本法案に賛成の意見を表明する次第であります。(拍手)

 

110 新井彬之

新井委員 私は、公明党・国民会議を代表して、ただいま議題となりました元号法案について賛成の討論を行います。(拍手)

賛成の理由を以下簡単に申し述べますと、第一に、元号は国民生活に定着しているということであります。

 国民の年号に対する考え方はさまざまであり、賛成から反対、さらには西暦との併用から西暦一本化まで幅広い意見が出されています。しかし、元号に関する世論調査等を見ると、積極的にせよ、消極的にせよ、八割近くの人が元号の存続に賛成しております。もちろん、元号存続賛成の人たちは、現状の西歴との併用を当然と考えていることは、いまさら指摘するまでもありません。

 すなわち、国民は長期にわたって物事を考えるときや国際社会に対応するときは西暦を用い、自分の年齢など身の回りのことを考えるときは元号を用いるというように、西暦と元号を自然のうちに調和させて、うまく使い分けているのが実情であると思うのであります。長い尺度としての西暦、さらには短い尺度としての元号を巧みに使い分けているのは、日本人の生活の知恵ともいうべきものであろうと思います。ゆえに国民の生活に定着している元号を存続させる必要があると考えます。

 第二に、元号を法制化により存続を図ることが望ましいあり方と考えるからであります。

 元号存続に賛成する人の中には、法制化までする必要はない、内閣告示でもよいのではないかとの意見を述べています。政府も、三木内閣当時は内閣告示を主張していました。しかし、元号は、歴史的な背景と日本文化の長い伝統に根差した国民の感情や生活上の利便と密接に関連することから考え、元号問題に対する論議を国民にわかりやすい形でオープンに行える方法こそ最良の方法であると思うのであります。すなわち、国権の最高機関である国会で十分に審議し、法制化することが最も望ましいあり方であり、内閣告示方式ではかえって国民の意思も反映されず、政府の恣意的判断にゆだねられるおそれが生ずると考えるのであります。

 一方、元号法制化に反対する人は、元号存続を望む声は多いが、法制化を望む声は少ない点を指摘しています。確かに、最近の一部マスコミの世論調査では、そのようなデータが示されています。しかし、元号存続のためには法制化と内閣告示しかない以上、法制化により存続を明確化、安定化させることが最も望ましい方法であると思います。もしも何の手だてもしなかったならば、新憲法の発足とともに法的根拠を失い、事実たる慣習として使用されてきた昭和の元号はなくなり、次の新しい元号を制定するルールもないまま、大化以来続いてきた元号は完全に消滅してしまうのであります。このような事態は、元号存続を望む国民の世論に反するものであり、避けなければなりません。

 旧憲法下における元号の制定権者は天皇でしたが、元号法案は国会で決め、それに基づき元号の選定を内閣にゆだねるわけですから、制定権者は国会であり、国民が制定権者であると言っても過言ではありません。元号の呼称は同じであっても、戦前の元号とは決め方も中身も全く異なるものであります。私どもは、現行の平和憲法を強く擁護するものであり、元号法制化が国民主権侵害、旧天皇制への回帰という意見には全く理解しがたいものであります。

 以上の観点から、私どもは、元号法案に賛成するものであります。

 最後に一言つけ加えるならば、元号法案自体はきわめて単純な内容であり、元号の具体的決定の仕方、運用は政令で定めることとなっています。そこで政府に強く要望しておきたいことは、法律によって強制されるのではないかという国民の不安に対しては、あくまでも現在の状態、すなわち、元号を自然のうちに調和させている国民の日常の慣習を尊重し、強制するということによっての混乱の事態はあくまでも避けるべきであります。

 最後に、公明党の主張している改元の実施時期に関しては、国民の利便という観点に立って、翌年の一月一日から実施するよう強く要望し、私の元号法案に対する賛成の討論を終わります。(拍手)

 

112 吉田之久

○吉田委員 私は、民社党を代表して、本元号法案に賛成の意見を申し述べます。(拍手)

 いまわが国で使用されている元号は、われわれ日本人にとって長く定着した年の呼称であり、今後も持続されるべき多くの理由と背景を持っております。したがって、本来もっと早い時期にこの元号問題は結論を出しておくべきものでありまして、戦後三十四年間、事実たる慣習として法的裏づけもせず、いたずらに時日の経過に任せてこられた歴代政府の態度は大いに反省されるべきであると考えます。ともあれ、今後の国民生活に混乱を与えないために、明治、大正、昭和に続く元号の制定を法律によって定めることは、国民の要請にこたえたものとして今日的意義を有するものと判断いたします。

 同時に、いまわれわれに課せられている重要な課題の一つは、この法律によって定められるであろう新元号が真に国民に同意と共感を得るためにどう工夫されなければならないかということでありましょう。その点では、新元号決定の過程が民主的に進められ、参加と公開の原理を取り入れ、かつ、時代にふさわしい近代的なものとすることが必要であり、そのための思い切った創意工夫を取り入れられるべきであることと強く期待いたします。

 また、元号の使用については、決して国民に強制しないという政府の気持ちはわかりますが、権利義務を伴う一定の文書についての年月日の記入は、統一性を持つことが国民生活にとってすこぶる重要なことでありまして、この点の国民の理解と協力を求める努力を払われるべきであると考えます。

 以上の所見を述べて、この法案に賛成するものであることを表明いたします。(拍手)

 

116 中川秀直

○中川(秀)委員 私は、新自由クラブを代表して、内閣提出の元号法制化のための元号法案に、主として次の三つの見解を表明し、賛成の討論を行います。(拍手)

 第一に、元号は、長い伝統を有し、千三百年の間国民が共通に使うことによって、同一の社会文化に帰属している意識を持つのに大きな役割りを果たしてきており、次代に継承さるべき文化的価値を有していると考えます。

 第二に、元号は、国民の使用存続の要望が八割を超えており、広く国民生活の中に定着していると考えられます。

 第三に、そうした元号ではありますが、昭和以降も存続する場合、現状のままではその手続が不備であります。すなわち、現在、元号の法的根拠はなく、民法九十二条の事実たる慣習として使用されていますが、その次の元号制定、つまり改元の手続は事実たる慣習たり得ておらず、事実上、元号を存続させるための制度は、失われていると考えられるからであります。

 これら三点から、元号存続のための制度を確立するため、いまこそ何らかの措置が講ぜられなければなりません。そしてこの場合、元号のような国民の日常生活にきわめて大きなかかわりを持つ問題は、憲法の主権在民の原則からも立法府たる国会での十分な論議を尽くした上で定められることが望ましいとわれわれは考えます。

 以上のような見地からいたしますれば、元号は法制化によって存続することが最も望ましい姿だと考えられるのであります。また、法案の内容となっております皇位の継承のあった場合改めるとのいわゆる一世一元も、旧来の勅定元号とは異なる意味として、現行憲法の象徴天皇の在位期間に合わせて紀年方式の一つである元号を改めるもので、憲法は、主権の存する国民の総意に基づいて象徴天皇制を定めており、違憲の問題は全く起こり得ないと考えられます。さらに、元号の使用は国民に一切強制しない内容になっておりますのも評価をしなければなりません。

 しかし同時に、われわれはこれからの元号は、何よりも国民自身の元号、国民に愛され、親しまれる国民のための元号、つまり、かつての天皇元号でも、また単に内閣が定めるだけの内閣元号でもない、いわば国民元号として新たに出発をしなければならぬと考えております。

 政府は、われわれの主張する国民元号という立場に十分留意していただきたいと存じます。このため、われわれは、この際政府に対する要望の意味を込めた提案をしておきたいと存じます。

 第一に、次期元号を選定するための具体的準備に相当な時間的余裕が生まれるように、一定レベルまでは早期にとりかかること、また、次の次以降の元号選定については一定の準備開始のルールをつくること、これによって最良の元号が選ばれる可能性が出てきます。また、元号の選定が秘密主義にならないためにも、元号選定の経過並びに選定理由、趣旨を国民にわかりやすく公表すべきだと考えます。さらに、これからの元号は、新しく国民元号として出発するということから、従来のように出典を中国の古典や史書に限らず、国民が日常使用している日本語で定めるべきであります。

 第二に、新元号の使用開始は、国民生活の混乱を避けるという見地から考慮されねばなりません。このことから、われわれといたしましては、平安朝以降の歴史上はほとんどその方式にしている踰改元の方式を政令公布の時期の工夫等によって採用し、実質的にそうなるような方向へ検討すべきだと存じます。

 第三に、文化の国際交流の視点からも元号の使用は国民に絶対に強制してはいけません。公的機関への国民の元号使用に対して、政府は単に協力を求めると述べるだけでなく、西暦、元号の使用は自由意思であることの理解を求める、それだけの誠意を国民に示していかなければなりません。また、教科書に関しても法制化とは無関係に、これまでどおり西暦、元号併記の基本方針を守り、柔軟なる姿勢を維持していただきたいと存じます。そしてこれまで政府は、元号の法制化に対する国民の理解を得るための努力に必ずしも十分でなかったため、これからも不断に国民の理解を求める努力を行っていく必要があろうかと存じます。こうした点もあわせて国民元号に向けての政府の一層の努力を要望しておきたいと存じます。

 以上、元号法制化へのわれわれの立場表明と政府への要望を述べまして、賛成の討論といたします。(拍手)

 

 反対意見 

108 岩垂寿喜男

○岩垂委員 日本社会党を代表して、元号法案に反対の立場から討論を行います。  最初に私は、去る十八日、わが党の飛鳥田委員長が、総理大臣であり、自民党の総裁である大平さんに対して行った申し入れを朗読させていただきます。   現在、衆議院内閣委員会において元号法案の審議がおこなわれていますが、この審議を通して元号問題について国民の関心がたかまっております。   最近の新聞社などの世論調査は、元号の法制化に賛成する人々は調査対象の二〇%前後に過ぎないことを明らかにしています。   これは、元号に賛成する人も「法制化してまでやる必要はない」ということを示すものであります。   しかも、政府がこの法律を「国民には強制しない」と強調しながら国会答弁では「公務員にそれを強制することを通して官公庁の窓口では事実上国民に強制すること」を言明しています。   もともと、一世一元の元号法案が天皇主権の復活をめざす一部勢力の要求に応えたものであり、これは憲法の国民主権に対する重大な制約となりかねません。日本が国際化の方向に進まねばならないときに、これに逆行して世界中で日本でだけしか通用しない不合理で不便な元号を押しつけることは国民のためになりません。   私どもは私どもの時代感覚だけで、未来に生きる子供や孫たちに法的拘束力をもって元号をおしつけることは許されません。また、それは歴史に禍根を残すものです。   以上の立場にたって次の点を申入れ御回答を  要求します。  一、元号が事実たる慣習であるとすれば、西暦も事実たる慣習であります。    ですからその使用を法律で強制することなく国民の自由な意志にまかせること。  二、国民に元号を強制するこの法案は撤回し、年号が必要と考える場合には内閣の判断で行うこと。 というものであります。  私は、このように条理を尽くした申し入れに対し、政府・自民党が誠意をもって対応しなかったことをはなはだ遺憾とし、政府に反省を求めざるを得ません。  率直に申します。戦前派、戦中派と言われる人々は、その教育や社会生活を通して明治、大正、昭和という年号になじまされてきました。かくいう私もその一人であります。そしてその時代は、天皇陛下のために身命を賭すことを強制され、聖戦の名のもとに侵略戦争に駆り出され、アジア侵略の先兵として戦わされた歴史でありました。一世一元の天皇の時代は、私どもにとって暗黒の世代でありました。  戦後の平和憲法は、主権在民と平和主義、基本的人権の思想を特徴として制定されたことは申し上げるまでもありません。だからこそ行政官布告や旧皇室典範が違憲無効の存在となったのであります。いま元号法案が提案され、戦後違憲と断定された行政官布告や旧皇室典範と同じ一世一元の元号が国民に押しつけられようとしています。  しかも、重視しなければならないのは、これを推進してきた勢力が天皇主権を要求し、戦後民主主義を形骸化し、天皇を政治的に利用しようとし、そしてさらに防衛思想というか、軍国主義思想の普及強化を図ろうとしている勢力と共通であるということについてであります。私どもは、このような政治的背景と動機が元号法制化を促してきたことに対し、平和憲法の名において反対せざるを得ないことを主張したいわけであります。  天皇という一人の人間の死によって中断する紀年法が、国際化の時代にそぐわない、きわめて不便なものであることは言うまでもありませんが、改元が国民生活に及ぼす影響の大きさを考えるならば、それがいかに不合理なものであるかということは明白であります。  このような不条理、不合理で、その上に大変不便な元号を、公務員にそれを強制することを通して、官公庁の窓口で事実上国民に強制することは、憲法の保障する思想、信条の自由という国民の基本的人権に背くものであることは明白であります。歴史を後戻りさせ、民主主義と平和に逆らう元号法案が国民の理解を得られていない事実を、マスコミを含めての世論調査を通して政府がいま改めてみずからに問うべきであります。  三原長官、いま私たちは、私たちの子供や孫たちの時代にまで法的拘束力を持って元号を押しつける決定を下そうとしているのであります。このような政治的決断にかかわりを持つことに人間としての恐れを感じませんか。もしその責任を感じないとすれば、それは傲慢だと言われてもやむを得ないと強調せざるを得ません。  私は、いま衆議院内閣委員会の審議を終わるに当たって、本法案に賛成なさる皆さんに対しても、歴史と未来に対し、もっと謙虚であることを心から訴えつつ、元号法案に対する反対討論といたします。(拍手)

 

114 柴田睦夫

○柴田(睦)委員 私は、日本共産党・革新共同を代表して、元号法案に対して断固反対するものであります。

 まず第一に、本法案は、憲法の主権在民の原則に逆行するものであり、断じて認められないことであります。元号制が中国から移入された君主体制と不可分の政治制度であり、明治以降制度化された一世一元の元号制が天皇主権、天皇の統治権と不可分の政治制度であることは、本委員会審議において政府自身が認めたところであります。戦後、主権在民の現憲法のもとで元号制の法的根拠が失われ、元号制度がなくなったのは当然です。元号法制化が現憲法の主権在民原則に逆行することは、新皇室典範から元号制定の項が削除されたことや、一九四六年の元号法制化の企てが断念された経過などによっても明であります。

 第二に、この法案は、各種右翼勢力など法制化推進者たちが天皇元首化、憲法改悪への一里塚、解釈改憲と位置づけて策動してきたことに呼応するもので、戦時立法、教育勅語・軍人勅諭礼賛、「君が代」国歌化、靖国神社問題などとともに対米従属下の軍国主義復活の路線に立った重大な政治・思想反動の一環をなすものであり、政府も明確にこれを否定できず、事実上認めているとおりであります。

 第三に、各種世論調査の結果、多数の国民が法制化に反対し、法制化に賛成しているのがわずか二〇%前後にしかすぎないことは、政府自身が認めたところであります。それにもかかわらず、元号存続を希望する多数世論にこたえるのが政府の責任であるとか、その存続の方式については国民を代表する国会に決めてもらうのが最も民主的であるなどと称して法案をごり押しするというのは、国会と国民を愚弄するものであります。また、敗戦後、元号制度がなくなり、現在の元号が慣習的に使われているにすぎないことも政府みずからが認めているところです。多くの国民が希望しているのは、慣習としての元号の存続であって、元号制度の復活などではありません。存続の要望にこたえるのが政府の責任であるなどと称して元号制度を復活させるのは、まさに白を黒と言いくるめるものであります。

 第四に、政府は、法制化しても一般国民に強制しないなどと繰り返し、強弁し続けてきましたが、国民の不安と危惧はなくなるどころか、この不十分な審議だけでも国民の不信が高まり、国民の御協力をという名の事実上の強制が行われようとしていることはきわめて明らかであります。

 元号問題については、わが党が繰り返し主張してきたように、慣習としての元号の存続を希望している多数の国民世論を素直に尊重して、現在の慣習的使用の延長として適切な措置を検討すべきであり、将来にわたって固定的に法律で拘束すべきものではありません。いかなる紀年法を国民が用いるかは歴史と国民自身の選択にゆだねるべきものです。これこそ大多数の国民の願いにこたえる最も道理ある措置であります。にもかかわらず、提起された問題点を国民の前に十分解明せず、また徹底審議のためにわが党が行った連合審査、公聴会や使用強制問題についての実態調査、さらに、必要とされる参考人意見聴取や資料提出など、道理ある提案を無視し、採決を強行することは、国会の民主的運営を踏みにじるものと言わなければなりません。

 わが党は、広範な国民の反対世論に挑戦して、憲法の主権在民原則と逆行する元号法制化に断固反対し、多数を頼んで法案をごり押ししようとする政府・自民党と、公、民、新自ク三党の反民主的姿勢に対し、その責任を明らかにして、私の討論を終わります。