国には、「公文書の年表記に関する規則」などない。箕面市の規則を国の規則と誤解して流通。

2019年9月3日火曜日

元号関係報道 政府の対応 地方自治体

 1987年、政府は参議院議員野田哲氏の質問主意書に以下の様に回答しています。

 《国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はない。  また、現在、国・地方公共団体等の公的機関の内部において事務の統一的な処理のため元号の使用を義務づけるような規則等は別として、国民又は国・地方公共団体等の公的機関に対し、一般に元号の使用を強制する法令は存在しないと考える。》

  ところが、公文書については原則として元号を使用するという規則があるのだ、という誤解が一部で流通しているようです。

 「公文書の年表記に関する規則 平成六年三月三十一日 規則第三号」
公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする。
附 則 この規則は、平成六年四月一日から施行する。
 実はこれは大阪府箕面市の例規集に含まれる1規則にすぎないのですが、なぜか、これを国の規則だと勘違いして、Web上のみならず、書籍においても根拠の無い、誤った情報が振りまかれているようです。 以下が実際の箕面市の規則で、自治体の例規を集めたサイトに掲載されているようです。

https://www1.g-reiki.net/minoh/reiki_honbun/t000RG00000107.html#l000000000

箕面市の公文書の年表記に関する規則のスクリーンショット


https://www1.g-reiki.net/minoh/reiki_taikei/r_taikei_04_04.html

箕面市例規集のスクリーンショット


  試しに、「公文書の年表記に関する規則」という語でWeb検索してみると、この箕面市の事務取扱規則を国の規則だと勘違いして組み立てられた言説が多数見られます。
  以下その例ですが、おそらくWeb検索によって得た情報を鵜呑みにして、原典に当たらずに書き飛ばしてしまったためだと思われます。誤りを指摘しておくために以下にそれらを紹介しておきます。 

① 2018年5月13日某ブログ

 https://okadatoshi.exblog.jp/28309972/ (2019/09/03閲覧)

公文書については、
○公文書の年表記に関する規則
平成六年三月三十一日
規則第三号
公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする。
附 則
この規則は、平成六年四月一日から施行する。
が根拠になっています。  

② 2019年2月2日某Twitter
https://twitter.com/bb45_colorado/status/1091924537015320577 
(2019/09/03閲覧)

  西暦表示の義務化を求める意見なのですが、公文書での元号表記の根拠をこの「規則」に求めてしまっているのは事実誤認です。
  しかし、その事実誤認については別の方がすぐに指摘していたのです。https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1091923747991302144
(2019/09/03閲覧) 

 なお、上述の誤解を指摘した方はこの錯誤の出所として、Googleブックスの検索から、以下の書籍を指摘しています。

③ アラサーの平成ちゃん、日本史を学ぶ
 http://www.takeshobo.co.jp/book_d/shohin/5109201
竹書房(BAMBOO ESSAY SELECTION)2015年 もぐら (著), 藤井青銅 (著)
p173《そして平成6年、「公文書の年表記に関する規則」というものができて、「公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし西暦による表記を適当と認める場合は西暦を併記するものとする」となった。繰り返し述べた政府答弁との整合性が、よくわからない。》

追記: 藤井青銅氏には出版社を経て照会していましたが、9月9日に要旨以下のようなお返事をいただきました。
《表向きは「法律的に強制はしない」、しかし「実質的に元号を使わせたい」といった国の姿勢を表すのに箕面市の規則を使っていたのなら、正しくないので、訂正したい。
 今回の「令和改元」を控え、西暦表記を義務付けようとした試みは失敗したが、結局、国は、元号使用の義務付けも西暦併用の義務付けもなく、「元号使用に協力を願いたい」(忖度しろよ)ということで元号を使わせたい、という考えだろう。もし改訂の機会があるなら、そういう表現にあらためたい。》
 なお藤井氏には《「日本の伝統」の正体」》、《「日本の伝統」という幻想 》(いずれも柏書房)という著書もあり、「伝統」という言葉で思考停止せずに考える事の重要性、を軽妙な言葉で語っています。

  2019年8月時点でGoogleブックスを検索したところ、上記の本の他、2019年発行の以下の書籍にも錯誤による記載がある事が分かり、実際に確認しました。

④ 世界をよみとく「暦」の不思議
 https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781680545
  中牧弘允 著  イースト・プレス,  イースト新書Q 2019/01/20発行
p61-p62 《 平成6年には「公文書の年表記に関する規則」ができ「公文書の年の表記については、原則として元号をもちいるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする。」と認められました。また、2019年の改元をきっかけに、省庁で使われているデータは西暦で統一するという考えが政府から示されました。…中略…  西暦、つまりキリスト生誕紀元は、日本で市民権を得てさも当たり前のように使用されていますが、実はデファクト・スタンダード(事実上の基準)に近いのです。デジュリ・スタンダード(法律が定めた基準)としては、先述の「公文書の年表記に関する規則」などの規定で西暦は併記を認められているものの、元号が基本です。ただ、だからといって、西暦がだめで元号を使えばいいということではありません。》
※下線は引用者
追記:2019/9/4に出版社にメールで問い合わせましたが、2019/11/09現在回答はありません。

   著者は実績のある文化人類学者です。
 なお、この本には、一世一元でリセットされる紀年法である元号制度が作られた明治元年(1868年)の後、明治5年(1872年)に「神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メ」る、リセットされない紀年法=いわゆる「皇紀」が太政官布告で制定されたために、どちらを使うべきかの議論になり、政府が諮問機関の「左院」(当時まだ議会はない)に審議させたところ、元号は使用禁止、リセットされない「紀元=皇紀」を使うべきだという回答になってしまい、政府が再度、元号と皇紀の併用案を提出したという、エピソードが紹介されていました。
 
 このことについて岡田芳朗氏の「暦ものがたり」2012年角川ソフィア文庫では、以下の様に書かれています。
《改暦の詔書が出されてから六日後の十一月十五日には「神武天皇御即位紀元」つまり皇紀が制定された。これは前述のように津田真道の建議が活かされたもので、西暦前六六0年を紀元とするものである。
 津田の主張は年号を廃止して皇紀のみを紀年法として用いよということであった。その影響をうけて、政府の諮問機関である左院は皇紀一本化の際の具体策を検討し、政府に上申しようとしていたが、政府は先手を打って年号と皇紀の併用を前提とした使用規定を下問した。この結果左院は年号廃止による一本化を諦めて、国書・条約・詔書以下私用に至るまでの使用例を検討して答申した。
 それによって、皇紀と年号とを併記したものを最も正式の文書に使用し、略式私的なものにのみ年号の単独使用もしくは、月日のみの記載でよしとした。皇紀は民間ではほとんど使用されることはなかった・・》(p247)


⑤「東洋経済 ONLINE」新元号の名前に安倍首相の「安」が入らない根拠
    来月発表される「新元号」の意外すぎる事実
  藤井 青銅 : 作家・放送作家   2019/03/01 5:50
  https://toyokeizai.net/articles/-/268010?page=3 (2019/09/03閲覧)
《昭和54(1979)年に「元号法」ができ、法的根拠が生まれた。このとき、「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない」という政府答弁がある。 「『協力を求める』ことはあっても『強制するとか拘束する』ものではない」 と繰り返し答弁している。これが公式見解だ。 ところが、平成6(1994)年「公文書の年表記に関する規則」というものができて、 「公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする」 となった。繰り返し述べてきた政府答弁との整合性が、よくわからない。現在、公式書類を書く時に「今って元号で何年だ?」と困る理由は、ここにある。》

 なお、藤井青銅氏はNEWSポストセブンでも同趣旨を書いています。    https://www.news-postseven.com/archives/20180603_684943.html/2

  個人のWebサイトのみではなく、出版事業においてさえもこのような初歩的な錯誤が流通してしまっているのは、「元号」については、きちんと真正面から論じられてこなかったということの証拠のように感じられます。

 ⑥ ウィキペディア での誤記述:「神武天皇即位紀元」の項目
《戦後(第二次世界大戦後)になると、単に「紀元」というと西暦(キリスト紀元)を指す事も多い。戦後は神武天皇即位紀元はほとんど使用されなくなっており、日本政府の公文書でも用いられていない》という記述部分への注釈として、以下が書き加えられてしまい流通していた。
《注釈 2. ^ 『公文書の年表記に関する規則』(平成6年規則第3号)では、「公文書の年の表記については、原則として元号を用いるものとする。ただし、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする。」と書かれている。》 (2019/09/03閲覧)
追記: 2019/09/08 この誤った注は削除されているのを確認しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8D%B3%E4%BD%8D%E7%B4%80%E5%85%83#cite_ref-4>


⑦ 株式会社イージスクライシスマネジメント  専門コラム「指揮官の決断
     No.088 西暦に統一だぁ?
 ※掲載期日の記載がありませんでしたが、内容から2018年5月。
 https://aegis-cms.co.jp/1179  (2019/09/03閲覧)
《 政府は、各省庁が運用する行政システムの日付データに元号ではなく西暦に一本化する方針を決め、近く、運用指針に盛り込むようです。
 来年行われる改元に伴うシステム改修費の大幅削減になるだけでなく、データ形式を統一してシステムを連携しやすくするのだそうです。
 結構なことで、何をお前は怒っているのかという声が聞こえそうです。
 この件について報道した読売新聞は、5月21日(月)朝刊の第1面で「政府の文書には日付表記の決まりが無く、慣例で元号表記が原則となっている。」と記載しています。  しかし、これは読売新聞の完全な誤報です。
何故、西暦表示一本化なのか 元々、元号に関する規定は大日本帝国憲法においても規定はなく、皇室典範に規定されていたのが根拠となっています。つまり、皇室に関する規定でした。
 日本国憲法になると新しい皇室典範からもその規定が削除され、元号はまったくその法的根拠を失ってしまいました。
 ところが1970年代、昭和天皇の高齢化もあり、日本の伝統や文化を見失うことへの懸念から、元号法制化の機運が高まり、1975年に野党や学術会議の反対を押し切って元号が法制化されました。
 ただ、この法制化は元号の決め方を定めただけなので、これをどうしても使わなければならないというものでもありませんでした。この点に関しては読売新聞の記事は誤報ではありません。
 しかし、1994年、公文書の年表記に関する規則(規則第3号)において、公文書においては元号を用い、西暦による表記を適当と認める場合は、西暦を併記するものとする、と規定されたため、政府の文書は外国語で記述されるものを除きすべて元号が表記されるようになりました。
 読売新聞はその事実を知らないのです。
 この規則が制定された時の大混乱は今も覚えています。
 当時私は海上自衛隊におり、幸いにして現業についておらず、幹部学校指揮幕僚課程の学生として、指揮官あるいは上級司令部の幕僚となるための教育を受けていましたので渦中に巻き込まれることはありませんでしたが、文書の日付をすべて元号にするためのプログラムの改修などで海幕などで実務についていた多くの先輩の海幕スタッフは面倒な作業を強いられていました。
 当時、海上自衛隊は米海軍との共同作戦をあらゆる作戦の基本に据えていたため、当然文書の日付は西暦を使用していました。私たちが年月日を理解するのも西暦で理解していました。
 もちろん、予算に関する事項などについては元号を使っており、要求する予算を1995年度予算などということはなく平成7年度予算と呼称し、1995年度予算と呼ぶのは米国の予算のことでした。・・後略・・》※下線引用者

 上記のような記述があるのですが、自衛隊の中で1994年に、元号に統一するためのプログラム改修が実際にあったのだとすれば、大阪府箕面市の「公文書の年表記に関する規則(規則第3号)」は自衛隊に効力を及ぼせないので、それとは別の、何らかの当時の防衛庁内の指示に基づくものだと推定するのが合理的です。

追記:2019/09/29
 なお、株式会社イージスクライシスマネジメント様への問い合わせに対しては大変丁寧な御回答をいただきました。
 執筆時に当時の先輩に問い合わせたところ問題の規則第3号ではないかと紹介されたが、充分確認できなかった。しかし、防衛庁内で元号に一斉変更した事実は確かであり、記事の主旨には影響を与えないと判断してこのように記載したということでした。
 今回改めて防衛省にも確認してくださったのですが、あまりに昔のことで根拠規則はすぐには分からず、情報公開請求でないと無理かもしれないといわれたということでした。
 なお、現在は、(規則第3号)に係わる記述はこのブログから削除されています。

追記:2020/11/4
 国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」には、「『公文書の年表記に関する規則』はどこで出されたものか、その上位法についても知りたい」、という質問への調査結果が掲載されています。   https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000279810

 県立長野図書館が2017年に作成し、2020/3/30にデータベースに登録してくれたもので、「この規則の上位の法律については確認できなかった。以下の通知に留意して制定されたのではないかと考えられる。」として、内閣閣甲第16号 昭和27年4月4日 内閣官房長官名で通知された各省庁次官あて 公用文改善の趣旨徹底について(依命通知)内の別紙にあった、「日付は,場合によっては,「昭和24.4.1」のように略記してもよい。」との記載を指摘しています。
 もちろん、これは公文書に昭和(元号)を使用するよう求めたものではなく、年月日を表示する場合「昭和24年4月1日」と記載しなくても「年」・「月」・「日」の漢字3文字を省略して「昭和24.4.1」という略記でも良いといっているにすぎません。こんな細かいことの統一まで通知するほど公文書の記載方法にこだわりながら、根本の「紀年法」については何ら法的には定められない、というところに、曖昧さを本質とする元号問題の「異常」さが見えます。