10月5日(月)14時から 東京地裁103号法廷で、山根二郎弁護士らが2019年3月に提訴した「元号制定差止請求」の判決が開かれました。本来5月11日の予定でしたが、コロナ禍のために延期されたものです。
冒頭、山根弁護士は発言を求め、今日判決を迎えることは不本意であり、この問題は重大であって結論だけ言って終わりでは納得がいかない、そのために多数の傍聴者も来ているのだから、理由をはっきり説明せよ、と口火を切り、以下(私の理解では)次のようなことを述べられました。
明治以降定められた「一世一元」は天皇絶対支配のためだった。現在でも天皇の謚(おくりな)としてのみ元号を使用するのであれば問題ないのかもしれないが、時間の尺度として使用してしまえば、個人は世界の中の人間として世界史を生きているにもかかわらず、「日本人」は天皇の時間を生きさせられていることになる。そのような国は日本以外にない。憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定しているが、それに反している。たとえ憲法1条に象徴天皇制の規定があるとしても、その事と、政府が元号による時間尺度で行政を行うこととは全く関係が無い。
「個人の尊厳」とは「時間」でできている。それを「天皇の時間」で切断されるのでは、そもそも日本は近代的な国家と言えるのか、根源的な提起として徹底的に訴えてきた。この提起について、「処分性がない」と国側はいうが、戸籍では個人を元号で生死を迎える者として閉じ込め、元号表示の公文書をいちいち西暦に換算する手間を国民に強いているなど、「処分性はある」。 本日の結審ではなく継続を望む。
10分以上、マスクを外しフェイスシールドでの熱弁でした。
裁判官は、要望は聞いたが、裁判所の構成が変わり私も今日初めて判決文を見るのであり、自身が関与していないことに説明はできないことになっている、として、怒号の中で数秒間、主文のみを言って3人揃って扉の奥にそそくさと消えてしまいました。早口でしたし、何を言っていたのかよく聞き取れませんでした。今までの裁判官とは顔が違うような気はしていたのですが、マスクをしていたのでよくわからず、裁判官が「初めて判決文を見た」と言うのを聞いて裁判官交代を認識したほどでした。
法廷の後開かれた報告会で、判決内容は「却下」といっていわば門前払いであることを傍聴していた別の弁護士の方が説明してくれました。
原告も初めて見ることになる判決文のかいつまんでの説明があり、元号は年の表示方法の一つである、とか、直接国民の権利義務についての行政処分に当たらない、とかいう判決理由とともに、戸籍については西暦での届出を受理した場合、記載する際には公簿の統一を図るために元号に直すとか、外国人の場合は従来どおり生年月日は西暦で記載するとか、の内容も紹介されました。
山根氏は、問題に一石を投じるとか、世直し、啓蒙、の意識ではなく、「私自身の存在証明」としてこの訴訟を起こした、と述べました。いろいろな反応も予想され、訴訟を迷うこともあったが、単なる「主張」をするのではなく、国家と向き合う形で「私の存在」をかけたかった、単に、元号なんて天皇制の一部で、天皇制がナンセンスなんだから元号なんてダメに決まっている、という理解に収まったり、そのように仲間内で了解しあっているだけではならない、と力説されていたと思います。
原告のお一人、矢崎泰久氏も軍国少年だった自分にとって、昭和天皇に責任を取らせられなかったのは自らの恥であると述べていました。
「日本」とは何なのか、原告の方々のそれぞれの強い思いが切り開いたこの訴訟でした。
控訴については原告で相談して決めて行くとのことでしたが、今後についても注目していきます。
追記:2020/10/29
東京高裁に控訴し、2021年3月16日(火) 14時~ 101号法廷での口頭弁論が決まったそうです。
(記:石頭)