2020年2月17日 元号制定差し止め請求事件傍聴記

2020年8月12日水曜日

政府の対応 生活の中で 法曹関係

 2020217日、 昨年3月に山根二郎弁護士らが提訴した「元号制定差し止め請求事件」=「元号違憲訴訟」の第4回目の口頭弁論が東京地裁103号大法廷で開催され、前回に引き続き多数の傍聴者が参加しました。裁判は原告の証人申請を認めず結審しました。
 判決は511日に指定されていましたが、新型コロナウィルスの関係で日程は取り消し、105日(月)14時~ 東京地裁103号法廷ということになりました。裁判所職員の話によるとコロナ対策の為に法廷の定員を減らしているため、傍聴は抽選になる可能性もある、とのことでした。

 

今回の裁判での請求の趣旨は

1 国は、元号を制定してはならない。

2 元号を「令和」に改める「平成31年政令第14 3号」(平成3141日公布)が無効であることを確認する。

3 法務省民事局長が、法務局長・地方法務局長に宛てて発した「昭和5 4 69日付け法務省民233 1 3号」の通達-元号法の施行に伴う戸籍事務の取扱いについて-が無効であることを確認する。

との判決を求める。

 というものでした。 (2019530日訴え変更(追加的)申立書より)

それに対して被告である国の主張は、「本件政令の制定に処分性はなく,本件政令の制定の無効確認を求める訴えは不適法であること」、ということにつきます。

 2020217日の被告(国)側の準備書面(2)は、次のように述べています。

「しかしながら,そもそも,被告が「本件政令の制定に処分性がない」と主張する主な理由は,被告準備書面(1)21 (2) (3ページ)で述べたとおり,本件政令の制定(行為)が,一般的な規範の定立にすぎないものであり,国民の法律上の地位に対して直接具体的な影響を及ぼすものではないし, これが同時に,特定の者の具体的な権利義務ないし法律上の利益に直接的な影響を及ぼすものでもないことにあり, このことは,本件政令の規定はもとより,元号法の規定からも明らかである。」

 

要するに、私たちが受けている、元号のみが公文書に使われることによるさまざまな負担は、法律が私たちに対して直接何々せよと規定した結果(処分)によるものではなく、国は「元号を制定する」と決めただけで、その結果どんな不具合が生じていようと、元号を決めたということ自体は、「国民:私たち」に対して何かを禁止したり、義務づけたりしたことではないのだから、そのことに異議を差し挟む権利などないのだ、と言いたいのでしょう。

 これは、おそらく、現在の「支配」が、直接個人に対して具体的な行動を命令するといった古典的な姿ではなく、逆に各個人が「自らの(自由な)選択」としてその行動をせざるを得なくするためにはいかなる条件を制度的に作り出すかという技術へと、その核心が移行している、ということに照応していると思います。

 国はいわばこのような形式論だけで押し通したかったのでしょうが、原告が提示した具体的な問題点に反論してしまった部分では、全く事実と異なることを主張せざるを得なくなっています。

それは前回の傍聴記でもふれた

①「元号は年の表示方法としての暦年の称号である」という主張

②「国民は,元号の使用について強制されるものではなく,元号,西暦を自由に使い分けることができる」、という主張

2点です。


1.元号は年の表示方法としての暦年の称号、ではない、というあたりまえのことについて

国側は次のように述べています。

すなわち,例えば,内閣官房長官発言要旨及び総理府総務長官(当時)談話に「…年表示の方法である元号…」(乙第4号証), 「年の表示には原則として元号を用いてきたところであり・・・西暦で記入されたものも適法なものとして受理されることはいうまでもない」(同号証)などとあり,国会会議録にも「…元号はもともと紀年方式の一つであり・・・」(乙第5号証396ページ), 「西暦使用については何ら制限をいたしておらないわけでございまして,今後とも現在のような形で併用されるものと思っておるところでございます…」(同号証397ページ), 「元号は,年の表示方法として公私にわたりまして広く用いられておるもの…」(同号証401ページ), 「元号が年の表示方法として国民の生活の中で必要なこと」(乙第7号証321ページ) , 「今後も現状どおり西暦と併用してやっていただく…」(同号証322ページ)などとあるように,元号は年の表示方法の一つとしての暦年の称号であり,元号と西暦との間に互換性があることは明らか

強調、下線は引用者

これは実際にそれぞれの元号がいつからいつまでを指しているかという現実の姿への言及を避け、政府の発言や、国会での発言だけを根拠として、政府がそう言っているのだから世界はそのとおりなのであって、すなわち、元号も年の表示方法の一つとしての暦年の称号なのである、という「論理?」に過ぎず、現実を全く吟味しないことによる「空想」に過ぎません。個別の元号の初日と終日を確認すれば直ちに、その主張は成立しないことが明らかになります。

まだ旧暦を使っていた慶応から明治への移行日を除き、明治大正昭和平成令和の切替年月日を暦年(11日~1231日)に記入してみると次のようになります。

元号切り替え時期と暦年との食い違いの図
 

1912年は明治45年であり同時に大正元年、1926年は大正15年であり同時に昭和元年、1989年は昭和64年であり同時に平成元年、2019年は平成31年であり同時に令和元年。このように、一つの年に二つの称号が対応してしまう状況を「互換性がある」と主張するのは明白な論理的錯乱であり、国家がそのような錯乱を主張する状況は正さなくてはなりません。

私が傍聴した範囲では、上図のような具体的な事実をめぐっての議論はなされなかったように見えましたが、この議論は絶対に欠かせない部分だと思います。

暦年と元号が対応していないのは、あたりまえです。国会会議録にあるという「…元号はもともと紀年方式の一つであり・・・」の「紀年」とは、本来は、ある紀元から数えた年数と言う意味です。しかし、元号はそれぞれの天皇の即位を紀元として数え始め、また別の天皇が即位すれば今度は別の紀元として数字をリセットして数え始めるという方式です。したがって予め決められない前天皇死去による新天皇の即位の場合であれば、即位日から逆上ってその年の11日から数え始めるか(事後的に年の呼称が変わってしまうので現実的には不可能)、翌年1月1日から数え始めるか(いわゆる踰年改元)、あるいは今回の令和改元のように予め決めることができる場合は即位日と別に11日から数え始めるということをしない限り、暦年と元号が1対1対応=互換性を持つことはあり得ないのです。

原告が証人申請した元号問題の研究者である、所功氏は、24年も前に、そのような事態を回避し、暦年と元号が対応するように「改元の実務は可能な限り速かに進めて新元号を決定し公布したうえで、その施行は翌年正月一日午前零時からとする二段階方式をとることである。」[年号の歴史(増補版)元号制度の史的研究 1996 雄山閣 p199]と今後の改元手順について提案していました。

また、1946年内閣法制局で準備していたが、GHQに反対されて撤回した、当時の「元号法案」の意味について、所氏は、国立国会図書館憲政資料室に所蔵されていた、当時の法制局次長佐藤達夫氏関係文書から、タイプ刷りの「元号法想定問答」を紹介しています。(同書 p209 注44

その中で佐藤氏は今回の法廷で国側が述べた「元号は年の表示方法の一つとしての暦年の称号」などではなく、「元号は天皇の御一代との関係に重点を置くもの」であると明確に言い切っています。

元号法 想定問答 (下線は引用者による)

問 日本特有の元号を定めたとする理由如何。

答 日本は天皇を国民統合の象徴と仰ぐ君主国である。従って、天皇の御在位を時の記号にあらはして、一つの基準に供することは、国民とのつながりにおいて適切なことゝ考へる。此の点、(帝国)憲法が改正させられても変更する必要はないものと思ふ。

問 一世一元の原則を維持した理由如何。

 一部には敗戦の結果元号も改めるのが適当との意見もあるが、敗戦と元号とは何等直接の関係はない。又、元号は天皇の御一代との関係に重点を置くものであるから、今回改めることも適当でないと思ふ。このことは、どの御一代についても言へることであるから、一世一元の制を採った。

問 元号のことを皇室典範に規定しなかった理由如何。

答 元号は天皇即位の時定めるのではあるが、純粋な国務事項であって、専ら皇室関係のことを規定する皇室典範の規定とすることは、性質上適当ではない。従って、別個の単行法とした。

問 西暦は使用しないのか。

答 西暦の使用は、禁止もしないし強制もしない。使用者の自由である。

 元号の歴史に詳しい所氏の研究成果が、元号とは何かを原告が問うていたこの法廷で開陳されなかったことは、本当に残念なことです。 

 

 2.国民は,元号の使用について強制されるものではなく,元号,西暦を自由に使い分けることができる、と言う言い方の誤りについて

これには、2つの問題点があります。

一つは国民が行政に何か申請するときに、西暦使用ができない仕組みが作られ実際に運用されている「事実」があること、もう一つは、国民に対して発行する公文書が元号表記のみなのであれば、それは国民が自由に使い分けられている、とは言えない、という2点です。

元号のみでの申請は強制されている

紙の申請書類である場合、そこに元号が書かれていても、それを抹線で消して西暦で記入することは可能ですし、窓口の方もそれは受けつけるでしょう。窓口の方が、面倒がってトラブルになっても、「本件政令の制定によって元号が令和に改められても,国民は,元号の使用について強制されるものではなく,元号,西暦を自由に使い分けることができるものであり,」という国の主張をかざせば、西暦で書いた申請も受け付けざるを得ないでしょう。またそのような状況を指して、国は、国民は強制ではなく、自由に使い分けられているのだ、と主張しているわけです。

しかし、紙ではなく、電子的な申請をすることが定められ、なおかつ、そのデータ作成において、元号のみを使用するように設定されているとすれば、どうでしょうか。

具体的には、例えば明治は(1)、大正は(2)、昭和は(3)、平成は(4)、令和は(5)というように、元号別に先頭に異なる番号を割り振り、その後にその元号で数えて何年という数字を入力するように指定されている場合、これでは、西暦で入力しようがありません。そのような例が年金、保険、医療関係の申請にみられます。これは、明確に元号のみでの申請を強制されている、という事実に他なりません。もし、使い分け可能だと言いたいのなら、西暦は(0)、というような選択肢を必ず設けなければ、整合しません。

要するに、この法廷での国側の主張には「虚偽」があったと判断せざるを得ません。

 

電子申告で元号が強制されている事例 (クリックでリンク先へ)

「年金事務は電子媒体作成時の指定という形で元号を強制している」

 確定申告の申告フォーム

そして、そのように「年」について特殊な入力を強いたとしても、処理システムの中では、リセットされる元号では計算処理ができませんから、一旦、西暦(もしくはリセットされない紀元数字)に変換し、住民に書類を発行するときには再度、(将来不確定なリセットが組み込まれているために原理的には未来の年を表示できない)元号にわざわざ変換する、という無意味なことを行っている、と考えられます。

参考 20185月 新聞報道 (クリックでリンク先へ)

 政府は省庁データを西暦に統一する方向だが、西暦で統一後も、書類上は元号表記を残す考え

 

図は、読売新聞2018521日より

 

② 我々が受け取ったり読んだりする公文書が元号表記のみでは、元号と西暦を「国民が自由に使い分け」ている、とは言えず、元号からの換算という余計な手間をかならず、強制されていることになります。

元号と西暦を、国民は自由に選べるのだ、という国の言い分は、国民が書類を出すこと、申請をするという局面のみで捉えられ(それさえも電子申請では元号を強制されている場合がある事を上述したが)、国が国民に対して書類を発行する局面では、後は野となれ山となれとばかり、元号で発行しっぱなしで逃亡しており、どうしたらわかりやすく、合理的な公文書になるかについては、思考を拒否しているように見えます。元号使用は「慣行」である、という言い方は、まさにそのような無責任な態度を一言で示したもので、「我々」をこれからどのようなものとして構成していくのか、日本という国家をどのようなものとして運営していくのか、不合理は是正し、より良い社会を作っていきたい、という、基礎的な矜持を放棄した態度に見えました。

私たちは、そのような惰性を排して、自らが国家運営の主体として、より良い社会のために何をなすべきか、そのための一端として、「すべての公文書に西暦表記を」という、些細だけれども、重大な変革を追求していく必要があると痛感した、この一連の法廷でした。(記:石頭)