「愛国心」を「接地」しようではありませんか!?  西暦表記に反対する方に

2021年6月14日月曜日

疑問を持つ方々へ

  223日に、これまで講演会に参加して下さったり連絡を頂いた方々に、地方自治体アンケートの結果と、公文書に元号を使い続けることの是非について徹底的な議論開始を呼びかける声明についてお知らせするメールを、BCCで差し上げました。

それに対して、413日にニックネーム「Matubara」様より、以下のお返事を頂きました。2020113日に紹介した「b●●●●●●●.ocn.ne.jp 」様と同じ方でした。

 

オイオイオイ、こんなふざけてバカげたこと言うなよ

こんな運動誰が協力してやるか?って言うんだょ。

お前ら愛国心のない売国奴か?!

 

私たちはこのような意見を大歓迎します。まさに、このような意見と、私たちの意見とを付き合わせ、日本社会においてこれからの「紀年法」をどうすべきなのか、議論していこうではないか、という事こそが私たちの声明の主旨だったからです。

以下、「Matubara」様への当会からの返信も公開し、今後もさらに「すべての公文書に西暦表記を!」という私たちの会の主張をめぐって多くの方との会話を深めていきたいと思います。

 

以下、6月13日付けでお送りしたメールです。

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Matubara 

 拝啓 

 西暦表記を求める会 事務局です。 

 413日付けのお返事、拝受いたしました。 

 返信が大幅に遅くなってしまったことをお詫びします。 

私たちはMatubara様のような反対意見とこそ、話し合いを行い、お互いの認識をさらに発展させ、日本社会の今後について決めて行くべきだという主旨で2月「公文書に元号を使い続けることの是非について徹底的な議論開始を呼びかける声明」を出しましたから、このように実際ご意見をお寄せ頂いた事は大歓迎、とても嬉しく思います。

 

 さて、私たちはBCCでお送りさせていただいた223日のメールでも御紹介したとおり、政令指定20市と東京23区に元号と西暦の使用状況アンケートを行い、その結果から日本で行政が元号を使い続けることによる3つの矛盾を見いだしました。

 

1)市民との矛盾=「民間の西暦」と「政府の元号」というように年表示の方法が二重になっている矛盾。

 

2)外国籍住民との矛盾=元号が日本以外では全く通用しないことと、日本が世界の中で活動せざるを得ないことから必然的に生ずる矛盾。

 

3)公文書に元号を使用する不合理性を訴える意見とそれをめぐる議論を、「伝統・慣行」という全くすれ違う別の論理で押しつぶしてきた=逃避し続けてきたために、日本社会での合理性が損なわれ、ある意味での無気力が醸成されているという矛盾。

 

 「公文書には西暦を使うべきだ」、と言う私たちの意見に対して、Matubara様のご意見は、それは「愛国心がない、売国奴」だという内容ですが、日本社会で年の表示に「元号」を使用するか、「西暦」を使用するかという問題において、「愛国心」という言葉は抽象的すぎます。いいかえれば、もっともっと、現実の豊かな事象をめぐって、私たちはこれからどうすべきなのか、お互いの意見を擦り合わせる必要があるのではないでしょうか。

 

 戦後70年以上も、元号と西暦をめぐって、さまざまな議論がなされてきました。

 私たちの主張は「すべての公文書に西暦表記を!」という事であり、実はこの考えは20195月の元号リセット=「令和改元」の前年に政府が検討していたと報道されていた内容2018/08/21日本経済新聞「公文書の西暦表記、義務づけ見送り 政府方針」)と同じことなのです。

 

 報道によれば、改元に合わせて実行するのでは時間が無く混乱するとか、おそらくMatubara様のような意見が自分たちの選挙に影響するのではないか、という恐れから、この義務づけ案はうやむやにされ、先送りにされた、と言うことのようです。それでも「内閣官房幹部は公文書に西暦の表記を義務づけるかは「改元とは切り離し、今後検討していく」と、記者に語ったという事です。「政府関係者」は、「改元をきっかけに西暦を表記し始める公文書は増えそうだ。日本に滞在する外国人が増えるなか、将来は西暦表記が義務づけられる可能性はある」と語る。”と記事は結ばれていました。

 

「愛国心」を「接地」しようではありませんか。すなわち、Matubara様や私たちが日々生きているこの日本社会の問題として、具体的に、日本社会での紀年法はどうあるべきかを具体的に話し合いましょう。

 

パスポートをお持ちでしたらご覧になってください。生年月日含めてそこには「元号」のかけらも見えません。すべて西暦で記載されています。同じ政府が発行する文書が軒並み元号表示であるのと好対照です。元号は世界に誇る伝統だという方もいらっしゃるのですが、どうしてその世界に誇る元号を海外には持ち出すことができず、秘匿されなければならないのでしょうか。


また、マイナンバーカードと言うのがありますが、以前の住基カードの時から生年月日は元号、有効期限は西暦表記です。食品の賞味期限などは法的に記載することが義務づけられており、西暦でも元号でも良いことになっているようですが、元号表示の商品は見つけるのが難しいでしょう。

 最近でいえば、新型コロナワクチン接種を受けるときに提出する「予診票」では本人が記入する生年月日や医師が記入する接種年月日は「西暦」で記入するように設計されています。

 

 これらについてMatubara様の考えではどのように対応すべきなのか、自らに考えることを強いてみることは大きな実りをもたらしてくれると思うのです。パスポートにも元号を入れろと主張されるでしょうか。あるいは食品の賞味期限は西暦表記でなく、元号で書くべきだと主張されるでしょうか。


 そう主張されるなら、その「愛国心」をそのような行動に移すべきではないでしょうか。いや、そこまでは考えない、と言うのなら、政府の公文書であれ、私企業の表記であれ、Matubara様の「愛国心」にとって元号でなければならないものと西暦表記を許容できるものがある、ということになりますから、まさにその点についてそれぞれの理由について、皆で議論して決めて行けば良いだけなのです。

 

 元号使用は慣行だとか、統一的な事務のために元号を使うとか言っている政府が、生年月日は元号、有効期限は西暦という二つの年の表示の仕方を一つの書式内で採用せざるを得なかったり(マイナンバーカードや運転免許証)、パスポートに至っては元号を一切使用できないのは、もちろんいずれも理由があり、日本国外では元号は通用しないこと、不定期にリセットされる元号では未来の年が表示できないこと、それが、こうした場合に西暦を使わざるをえない合理性でしょう。


 個人的な年賀状や、誕生日を自分で言うときに誰がどう表現しようと、全く私たちの運動の関与することではありません。しかし、外国人やさまざまな属性を持った人々に関わる文書=公文書については西暦で表記する必要があると考えます。Matubara様はどうお考えですか。

 

 それでも納得いかないという思いが残るとすれば、Matubara様がお考えになっている「愛国心」の対象たる「日本」は少し自信がなさ過ぎるのではないでしょうか。「日本」が世界に向かって人々の平和や幸福について働きかけることを想定できず、その「日本」は、どこかの「他国」を鏡にして、危機感と優越感、ただひたすら自らを褒めあげてそこに閉じこもろうとしている、弱々しい砦、幻影に思えてしまうのです。あるいは「元号は日本の伝統・文化だ」とだけ防衛的に繰り返しているのは、「私は私だ」と繰り返しているだけで、新しい日本の伝統を作り上げていく意欲に欠けていないでしょうか。私たちの父母たちも、様々な局面で様々な判断を下し、現在の私たちの社会を作り上げてきました。それらの思考脈路は言葉として、歴史として残されていますから、現在の私たちは、彼らがそう考えてきた脈路を分析し、その勇気や、論理的誤りや、希望につながる芽を、さまざまに分析することができます。


その上に立って、私たちが作り上げていく社会として、「日本」を考える事が出来るはずです。


Matubara様の愛国心の熱情をそのような活動の原動力として活用してみませんか。

 

今後も私たちの会の活動についてはメールでお伝えします。

Matubara様からもまた、ご意見をいただけることを楽しみにしています。

 

コロナ禍の折、どうぞお元気でお過ごしになられることをお祈りします。

 

                           敬具

 

※なお、このメールも私たちの会ブログに転載させて頂きますので、ご承知置きください。


追記
上記の会からのメールに対して、6月14日に以下の返信が届きました。

 正直言って、このような内容がお前たちから返信されて来るとは、「本心なのか」と疑った。勝手で変な理屈を付けているみたいだ。
 もうお前たちとは議論するに値しない。
 もう今後一切メール送らんでくれ。

 大変残念ですが、対話は断たれてしまいました。
 しかし、このやり取りは私たちが指摘してきた「元号」をめぐる我が国の状況をよく表しています。
 具体的に議論しなくてはならない事柄から逃避してしまい、結局空想的な伝統や、国家輪郭を反復するだけに閉じこもってしまう弱々しさを乗り越えられていない、という状況です。
 私たちが、<公文書における年の表記を(不定期にリセットされる数字である)「元号」のみで行っている「日本」の状況について、今こそ徹底的に議論しようではないか!!>、と呼びかけるのは、そのような、閉じこもりの弱々しさでは、世界の中で「日本」はもう生きていけないだろう、という理解からです。