2022年3月1日の東京新聞は次のように伝えていました。
「無力感、人ごと感は民主主義の敗北」
「令和臨調」6月発足
有識者ら 持続可能社会ヘ提言
新型コロナウイルス禍やロシアのウクライナ侵攻で危機を迎える民主主義の立て直しに向けて、学識者や経済人の有志は二十八日、東京都内で記者会見を開き、民間の立場から再生策を提言する「令和国民会議」(令和臨調)を六月に発足させると発表した。・・・・メンバーには経済界や労働界、学者ら約百人が加わる見通し。日本生産性本部に事務局を置く。活動期間は三年間。
提言取りまとめに向け、政党や国会、選挙制度など民主主義の基盤となる「統治構造」、少子高齢化が進む中で持続性が問われる「経済財政・社会保障」、コロナ後の地域の未来像を示す「国土構想」を検討する三つの部会を設置する。「日本社会と民主主義の持続可能性」をキーワードに、第一弾の提言を年内に取りまとめる。
この組織が、「公文書における西暦表記の義務化」を提言できるかどうかに注目しています。
過去、今回のような自主的な組織ではなく、法に基づいて設置された第3次臨時行政改革推進審議会(1990-1993)「世界の中の日本」部会において、報告原案では「国際化への対応」「対日理解の増進」の見地から「当面可能な限り元号と西暦を併記する」と打ち出していたのに、官僚側の抵抗と「元号使用派」への怯えにより、最終報告からは削除された、という出来事が報じられていました。(朝日新聞 1992年5月23日 「元号擁護論ヘ配慮 官僚も抵抗 行革審報告の西暦併記提唱の削除」)
その報道によれば、1991年2月の初会合から議論になり、西暦併記を行っている島根県出雲市の岩國哲人市長や元駐米大使の松永信雄氏らが「併用論」を展開、原案起草前の92年3月には、伊藤博行内閣内政審議室長が「現状でも国民に元号使用を強制しているわけではない。併記を義務づければ、かえって事務が繁雑になる」と表明したそうですが、同年4月22日の報告原案では「元号と西暦併記」が打ち出される。
しかし、5月13日の部会では、
稲盛和夫 部会長(京セラ会長)が、そうした政府側の説明に加え、「余計なことをして、かえって足を引っ張る人が出て来てはいけないJなどと説明。積極派から「それもできないなら『世界の中の日本』の看板を降ろすべきだ」と強い反発も出たが、論議は終結
結果、4月21日に西暦併記を削除した報告の発表となった、という経過だそうです。
記事は次のような言葉で閉じられています。
「私も併記に賛成だが、義務づけると国粋主義のような人がものを言い出して、かえって変なことになるかもしれない」。稲盛氏は政治的な配慮を認めている。
元号の扱いには、天皇制をめぐるイデオロギー問題がつきまとう。部会論議に圧力はなかったようだが、「こういう問題を取り上げると、右翼から無言電話がかかったりすることを知っている人も多い」と委員の1人はいった。
1,その人の考える合理性から見て全く当然と思われることであっても、ある恐れによってそれを引っ込めてしまい、議論を回避してしまっているにも関わらず、それは「政治的な配慮」であり「民主主義」を逸脱するものではない、と考えられていること。
2,「無言電話」は「武力」のように直接身体を吹き飛ばして生物として発言できなくするものではないが、それぞれの「自己」に発言を抑制させる効果を持つならば「権力」として機能していることになること。
3,いずれにせよ、武力や威圧によって個別の意見表明を制圧したとしても、論理における諸意見の相違・対立や矛盾は保持されたままであり、いずれそれらの諸意見の対立や矛盾は解決されなければならず、問題は先送りされたに過ぎないこと。
そして、個人が直接持つ運転免許証やマイナンバーカードの「有効期限表示」、すなわち、元号では原理的に表記できず、仮定表示にしかならない、「未来の年の表記」、については西暦表記になりました。
2018年、すなわち、翌年に予告された元号のリセットを控えた年には、政府は公文書への西暦表記義務化を検討したが、保守派への配慮から見送ったと報じられました。
2019年には、政府の電子データについては西暦表記とする指針が定められました。
よもや、30年前のように官僚が反対することもないでしょう。
「令和臨調」メンバーの宇野重規東大教授は「自分が何をしても変えることができない無力感、誰かがやってくれるに違いないという人ごとの感覚は民主主義の敗北だ」と危機感を表明したそうです。それに従えば、「令和臨調」が社会における、民間の西暦、政府の元号、といった混乱、特殊な換算を国民に強いる社会について、何も発言しないことはできないはずです。
私たちは「民主主義」の現実化のために、誰に対しても「公文書の西暦表記」を訴え、その見解を問うことで社会的な議論を起こしていきたいと考えています。当然この「令和臨調」に対しても、同じように対応し、議論を呼びかけていきます。