「令和臨調」に懇談申し入れ

2022年8月16日火曜日

運動 臨調

 6月に発足した「令和臨調」=「令和国民会議」に「公文書への西暦表記義務化」を提言するよう要請し、懇談を申し入れました。3月27日の投稿 “「令和臨調」は公文書の西暦化を打ち出せるか?” で明らかにした立場からの行動です。

 私たちはこれまでの活動から、世界で唯一、「元号」という不定期にリセットされてしまう数字で公文書の年の表記を行っている日本において、その是非自体が具体的にきちんと議論されてこなかったことがもっとも問題であり、国会でも議論が必要だと考えてきました。

 「令和国民会議」は民間の有志による団体ですが、“「自分たちの社会を自分たちの力でより良いものにしていこう」その強い意志こそが民主主義です”と掲げています。

 そうであれば、70年以上にわたって不合理性が言われ続けながら、慣行・伝統という言い方のみで継続されてきた、「公文書の元号表記」についても、我々の社会はどうあるべきか、という観点から議論を提起するのは当然ではないか、という主旨から今回の申し入れを行ったものです。

以下に要請文を掲載します。

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202283

令和国民会議

代表者 共同代表 茂木 友三郎 殿

同     小林 喜光 殿

同     佐々木 毅 殿

同     増田 寛也 殿

 

西暦表記を求める会
代表世話人 稲正樹、田中宏、澤藤統一郎



日本における公文書の「年表記」に関する懇談の要請

 

貴会議の発足と活動に敬意を表します。

私たちは、20194月に結成した市民団体です。公文書での「年表記」に、数字が不定期にリセットされる「元号」を使用する現状を憂い、「すべての公文書に西暦表記を!」を掲げて運動しています。これまで、西暦表記を求めるアピール〈公文書に元号を使い続けることの是非〉今こそ徹底的な議論開始を呼びかける声明、などを発出してきました。

また、都内23区と政令指定都市20市に対し、公文書の年表記の実態と今後の考え方についてのアンケート、都議会各会派に公文書の年表記についての考えを聞くアンケート、ニュース番組で時間的経過がわかりやすい西暦を使用するようNHKに申し入れる活動などを行ってきました。

詳細は当会ブログをご覧下さい。「西暦表記を求める会」で検索 https://seirekiheiyo.blogspot.com

 

この間の経験から、私たちが痛感したのは、日本社会をどのような年表記で統一すべきかについて、具体的な議論が全く行われていない、ということです。
 すなわち、「元号は日常生活で不合理だ」という言い方と、「元号は日本の伝統だ」という言い方が、完全にすれ違うだけで、「現に私たちが生きるこの社会を、これからどう作り上げるのか、そこでは年表記をどうするのか」という議論が成立していないことです。

この状況に対して政府は、年表記に、「元号」(数字が不定期にリセットされる)を使用しているのは、日本だけだと認め、また、元号の使用を法定したものは存在しないことも認めています。一方で、公文書では「元号のみ」を使用しても、国民には元号使用を強制していないので問題はない、「西暦」と「元号」は「併用」されているとまで主張しています。

現在、公文書では「元号」使用、民間では主に「西暦」使用という混乱が起きています。そして、「元号」と「西暦」間のみならず、各「元号」間においても換算のために無用なコストが費やされています。この状態が今後も継続するならば、日本社会には負の重荷がかかり続けることになります。

 

本来、ひとつの国家・社会においては、「年表記」は共通であるべきです。また世界がさまざまな次元で緊密につながる現在では、「西暦」と呼ばれる「世界標準」に統一するのが合理的だと考えられます。それが、「公文書にも西暦表記を」という考え方になります。

一方、「元号はわが国の伝統・文化」だから存続させるべきだ、と言う意見は、具体的な生活面で、たとえば、食品の賞味期限、車検の有効期限、法律の改定歴に昭和、平成、令和が羅列される事実をどうすべきなのか、という「現実」への対応について回避しているのです。

このような「二分化」された社会の状態は、もはや放置されるべきではないと、私たちは考えます。

 

貴会議のホームページ冒頭には、“「自分たちの社会を自分たちの力でより良いものにしていこう」その強い意志こそが民主主義です。” という力強い、危機感をも秘めた言葉が掲げられています。この見方には私たちも強く同感します。

 

1950年、参議院では「元号」を廃止して「西暦」一本にする法案が検討されましたが、結局うやむやになりました。

1979年の「元号法」制定時にも、国民に元号を強制するものではない、というのみで、「年表記」についての具体的指針は定められませんでした。論理的に詰めることなく「慣行」という言い方で元号使用が惰性として継続されたのです。

1992年、第3次臨時行政改革推進審議会「世界の中の日本」部会では、報告原案にあった「元号と西暦併記」が削除されました。部会長の「私も併記に賛成だが、義務づけると国粋主義のような人がものを言い出して、かえって変なことになるかもしれない」と言う発言が報道されました。

2018年、翌年に改元を控えて、「公文書の西暦表記、義務づけ見送り 政府方針」という記事がでました(日本経済新聞 2018/8/21)。それによれば、政府は当初、改元に合わせて公文書に和暦と西暦の併記を義務付けるなどのルール策定を検討した。・・・しかし、1951日の改元まで時間は限られる。慌てて政府共通の方針を示しても各省庁や自治体の対応が追いつかず、かえって行政手続きや国民生活に混乱を招くおそれがあると判断した。・・・9月の自民党総裁選や来夏の参院選を控え、和暦を重視する保守層らの反発を避ける思惑もありそうだ。・・・内閣官房幹部は公文書に西暦の表記を義務付けるかは「改元とは切り離し、今後検討していく」と話す。” ということでした。

2019年、省庁データを西暦に統一するため、「行政データ連係標準」が定められました。前年「政府は日付データを西暦で統一した後も、書類上は元号表記を残す考えだ。」という驚くべき対応方針が報道されました。(讀賣新聞 2018/5/21

 

貴会議が、熟議の上、このような状況に終止符を打つべく、「年表記」について「公文書への西暦表記義務化」を提案されることを要請します。そのような提起によって日本社会で真剣な議論が巻き起こることを期待するものです。

またそのための一助になりたく、お忙しいこととは存じますが、貴会議と当会で懇談の機会を設けていただけますよう、お願い申し上げます。

 

以上


追記:残念ながら「令和臨調」からは全く反応がありませんでした。
            今後も「令和臨調」には注目していきます。