私たちは、さまざまなつながりで知り合った市民が、2019年4月に結成した運動体です。
もう何十年も昔から議論されてきた、世界で唯一、公文書を「元号」のみで表記する社会がいかに不合理で、異様なことであるか、実態を把握し、その改善を求めています。
1. 「元号」の最大の問題点は、不定期に、暦年の途中であってもリセットされてしまう数字であるというところにある。
※そのような方法で年を呼び、行政を行っているのは世界で唯一日本のみ!!
※「元号」では原理的に未来の年を指し示すことはできず、特定の起点からの年数を示す紀年法(西暦など)との換算も「元号」ごとに固有の計算が必要になる。
2. 法令には、元号の使用を強制する条文は存在しない。
3. 公文書に元号を使用しているのは「慣行」である、というのが一貫した政府の主張。
1987年 公的機関における元号の使用に関する質問主意書と答弁書
4. 国会ではなく、省令、通達、書類申請時の書式指定の中で「元号」使用を定めてしまう事によって実質的に国民はその使用を強いられている。
5. 天皇の交代が決まった後の2018年には、政府は公文書の西暦表記義務づけを検討していたが「保守派」への配慮などから採用しなかった、という新聞報道。
日本経済新聞 2018年8月21日 「公文書の西暦表記、義務づけ見送り 政府方針」
6. 既に2019年には、省庁データを西暦に統一する方向性が決定されている。
※国民が実際に目にする書類は西暦ではなく「元号」に変換する方針だという。
「入力や表示・印字において和暦年を使う場合には、入力時には入力データを和暦から西暦へ変換し、データは西暦で管理する。逆に出力時には西暦から和暦へ変換して表示する」と書かれている!
※これは「改元時のコストを下げるため」、と報道発表されていますが、もちろん将来公文書の西暦表記義務化時にも速やかに対応出来るように、と言う意味も含まれていると理解します。
讀賣新聞2018年5月21日「省庁データ西暦に統一」2019年3月28日政府CIO(内閣情報通信政策監)ポータル、「標準ガイドライン群」 日付は半角でYYYY-MM-DD(西暦年4桁)とする
7. 行政が日本国内向けに限って「元号」を使用することは、日本での国民生活に、世界の他の国々では不要な、多大な負荷を強いている。法令にもよらないこのような決定の曖昧さ、無責任さを「慣行」や「伝統」という語で覆い隠そうとする姿は、本来我々が議論し作り上げるものとしての「国家」の在り方としては全く不適である。
8. 日本という国家・社会での紀年方法についてどうあるべきかについては国民が、言い換えれば「国会」が、議論して責任を持った結論を出さなくてはならない。
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元号の不合理性は、日常的にイライラさせられる事柄として現れます。
NHKのニュースが、「平成13年から始まった○○が・・」、と放送する時、それは何年前なのか、瞬時には分からず、思考が途切れます。歴史の中にいる感覚が分断されるのです。
銀行通帳に記帳されるの年の表記が5月1日(2019年)を境に、突然31年から01年に代わったり、あり得ない平成35年とかいう数字が残っている契約書、これらを作っている方々は、「顧客満足」という言葉をどう考えているのでしょうか。なぜ、お互いにわかりやすく年の表記はしましょう、というあたりまえのことが通用しないのでしょうか。
西暦表記に反対したり、ためらう方々は様々な理由を挙げます。
Q:世界にはいろんな暦がある、国の個性なのだからいいではないか。
A:暦の多様性が問題なのではありません。「世界で唯一」年の数え方を途中でリセットしてしまう制度だということが問題なのです。しかも、天皇という生身の人間の状態を変更のきっかけとしているので、いつリセットされるか不確定。一年の途中からでも変更されてしまう。だから、「元号」で未来の年を表記しようとすることは原理として不可能! そのような年の表記法を公文書に使い続けるというのは異様です。「世界で唯一の・・・」は、誇れることでは全くないのです。
Q:西暦はキリスト教のものだから特定の宗教の紀元など使うべきでない。
A:世の中のものにはそれが出来上がってきた経過があります。一宗教に起源があったとしても現在は紀年法として世界標準になっており、2016年にサウジアラビアもイスラーム暦であるヒジュラ暦からグレゴリオ暦(西暦)に変更しました。
Q:世の中、合理性だけで割り切れない、日本の伝統・文化を守るべきだ。
A:「元号」は中国からの輸入品ですが、「わが国の伝統・文化」とされています。
1868年(慶応4年)9月8日の明治改元は、それまで天皇の代替わりだけでなく、ことあるごとに元号を変更していた「日本の伝統文化」を打破して「一世一元」としました。 1872年(明治5年)11月9日、それまでの「日本の伝統文化」であった太陰太陽暦(旧暦:天保暦)を、現在使われている太陽暦に大変更、明治5年12月3日を明治6年1月1日とする荒技も見せました。
私たちが現在日常生活では洋服をまとい、メートル法を使用していることを、それは「日本の伝統」に反している、と普通は言いません。また歴史を見れば、すべての「伝統」にはそれが生成されてきた時期が必ずあることがわかります。
自分が物心ついた時、昔からそれがあったから、というのではなく、現にある制度自体の合理性、妥当性を皆で議論して、今後どのようにしていくのかを、皆で決めていかなくてはなりません。
「伝統・文化」という言葉に「思考停止のゆりかご」を求めてしまうような態度は、「国家・社会」のためにはならないのです。
過去の人達と同じように、今、私たちも、新しい「伝統・文化」を作る心意気を持って踏み出すべきではないでしょうか。不合理をあきらめたり、黙認するのではなく、私たちのことを変化しないように現状に縛り付けようとする思想、を充分吟味し、日本社会をより生きやすくするために共に一歩を踏み出しましょう。